⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

July 2015

昔書いていたブログで『加茂前ゆきちゃん失踪事件』について書いたことがあるのですが、最も反響が大きかったため、再びこの新しいブログにも書くことにしました。
この事件は2006年に時効になっていますが、今でも事件について検索している人が多数いることを知り、意見や情報を止めてはいけない、風化させてはいけない、そう思ったのです。
それに伴い、パソコンで久々にこの事件について検索したのですが、リンク切れの多さと関連記事の激減に驚きました。6年ほど前に検索した時はもっとたくさん表示されたのに、いくら昔の事件だからってこんなに情報が消えるものでしょうか?
旧ブログを放置してしまったので、いただいた数々のコメントにも返信できていない状態ですが、この場でもう一度事件について考えてみようと思います。



《事件の概要》

1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前芳行さんの三女ゆきちゃん(当時8歳)が失踪した事件。
当日、ゆきちゃんは午後1時半頃に帰宅し、2時半頃に母親からの電話に出ている。その間父親は別室で就寝しており、3時半頃に姉が帰宅して、ゆきちゃんがいないことに気付く。まだ温かい飲みかけのココアと、いつもは外出時に着るピンクのジャンパーが残っていた。
午後4時頃、父親が起床。やがて長女や市子さんも帰宅。ゆきちゃんが夜になっても帰宅しないため、午後8時には警察に捜索願を提出した。

●ゆきちゃんは友達から遊びに誘われたが「約束がある」と断っている。
●ゆきちゃんは友達と遊びに行く時は自転車を使っていたが、その日は家の前に置かれたままだった。
●学校のジャングルジムで遊んでいた、学校横の十四川周辺にいた、自宅からわずか15mほどの四つ角で白いライトバンの運転手と話をしていた、学校近くの近鉄・豊田駅にいたなど情報が寄せられた

事件から三年後、加茂前家に怪文書が届いた。怪文書は3枚から成り、鉛筆書きの上からボールペンでなぞられたものである。
 
※以下、旧ブログより転載

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  ミゆキサンにツイテ
 ミユキ カアイソウ カアイソウ 
 おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ 
 コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス 

 股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた
 イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ
 イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル

 ツギニ
 スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
 アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。
 ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
 モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメスにナッテイタ。
 感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、

 又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
 モウ春、三回迎エタコトニナル 
 サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ
 
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ
 ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、
 広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

 股割れは平気なそぶり
 時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、
 一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ
 ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ

 股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ
 確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
 キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
 事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。
ヤツザキニモシテヤリタイ 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ


以上が、漢字、ひらがな、カタカナ、赤い〇印が混ざった、意味深な内容の怪文書である。
なんにせよこのままでは読みにくく解りにくいので、色々と調べて書き直してみた。
以下が私の書き直したもの。あくまでも私の勝手な解釈なので、自分なりに考えてみてほしい。


 ユキさんについて

 ユキ、かわいそう。かわいそう。
 お母さんもお父さんもかわいそう。
 こんなことをしたのは、富田の売春婦だと思います。

 売春婦は富田で生まれ、学校を出て、富田一色(もしくはエロ本屋)の表の反対にあるパチンコ屋POPAI(もしくは某喫茶店)に勤めた。
 いつの日か世帯を持ち、何年かして売春婦として客を取るようになった。
 今(家)は警察署の近くで、動物(もしくは、車・部落民・赤ちゃん・SM的な家畜)をあやつっている。

 次に、鈴鹿の稲荷を祀ってある場所の向側にある、あやめいっぱいの部屋(ヤクザの事務所)でコーヒーを飲みながら、覚醒剤の取引をした。
 万札を握ったのはヤクザ(または朝鮮人)だと思う。
 昼間からホテルに入って、股を大きく開いて、商売を忘れてセックスに溺れた。
 もう売春婦は人間を超えて、一匹のメスになっていた。
 感激のあまり、ヤクザ(または朝鮮人)の言うとおりに動いた。
 それが大きな事件になるとは知らずに。

 そして、カムチャッカ半島の白雪の冷たさがどんなものか知らずに、ユキを八寒地獄に落とす結果となったのである。
 事件発生から、もう、春を三回迎えたことになる。
 ユキが今いるのは、麻薬の売人が居たところではないかと思う。

 韃靼(北海道の樺太とユーラシア大陸の間の海峡)を、蝶が越えるのとは違って、
 ユキの母はカ弱い羽をバタバタヒラヒラさせて、我が子を探し、広い韃靼の海を渡っているのである。

 売春婦は平気なそぶりだが、時にはユキを探す張り紙に眼を流すこともある。
 一片の良心があり、罪悪を感じているに違いない。
 それを忘れたくて、セックスしてくれる男性を探し続ける毎日だ。

 売春婦は誰か。富田で生まれたことは間違いない。
 確証をつかむまで捜査機官に言うな。
 気長に、遠まわしに観察すること。
 事件が大きいので、決して急ぐ手は無いと思う。

 八つ裂きにしてやりたい売春婦だ。ユキがかわいそう。
 私が出産(もしくはセックス)をする時は命がけ。これが人であり、この時が女の一番尊い時だ。


と、ざっと解読してみたけれど、解読前にしろ解読後にしろ、私は「これを書いているのは売春婦本人なのでは?」と、なんとなく思った。どうも自分自身の身の上話を書いているような気がしてならない。
もっと軽い感じに書いてみると、こんな感じに思える。

 私、ヤクザから覚醒剤を買ってシャブセックスしたらハマっちゃって、覚醒剤欲しさにヤクザの命令通りゆきちゃんを誘拐したのよ。
 そうしたらヤクザはゆきちゃんを北朝鮮に売り飛ばしちゃって、そんなことになるとは思わなかったからかわいそうな事をしたなーと思ってるし、お腹を痛めて産んだゆきちゃんを一生懸命探してるお母さんにも申し訳ない。
 でも、警察にはちくらないでね。本当に悪いとは思ってるから。そりゃ、動かぬ証拠が出ちゃったらしょうがないけどさ。


この怪文書、たんなるイタズラかボケ老人の戯言だという意見もあるが、こうやって解読してみると実に興味深い内容ではないか。覚醒剤、北朝鮮、ヤクザ、売春組織、パチンコ業界、どれも実際につながっているわけだし。韃靼ということは、ゆきちゃんはロシア経由で北朝鮮に売られたか?



以上が旧ブログからの転載です。
そして、いただいたコメントを以下にまとめさせていただきました。



●三重県の渡鹿野島は別名売春島と呼ばれており、昭和33年の売春防止法が施行された後も飛田遊廓同様に売春が行われ、昭和40年代は栄えていたようだ。現在は東南アジア女性が大半を占めており、客引きの老婆が船着場にいる。女子高生と女性記者の行方不明事件とも関連があると言われている
●怪文書の下書きと清書は別の人物の可能性もある
●『ツギニ』は『次に』ではなく『積ぎ荷』とも考えられる
●『富田の股割レ』が『検索してはいけない言葉』になっている
●パーラボウは紡績会社の『〇〇紡』とも考えられる
●カムチャッカ半島ということは、ロシアンマフィアに売られた可能性もある
●『シュンガノオモテノハンタイ』は渡鹿野島の船着場の反対側に位置する場所にある、バー、ランプまたは乱歩。今は小学校の近くでベビーシッターをやっている。鈴鹿市を過ぎた辺りの荷おろし場(トラックセンター)の向かいにあるマンションの一室で大麻栽培している。最後にゆきちゃんを見たのは、渡鹿野島のサカイという薬屋の近く。そこから船に乗せられて韃靼海峡を越えてサハリンに連れて行かれた。とも考えられる
●新潟県柏崎市出身の友人が子供の頃、海岸で人がいなくなる事件を「ロシア人が人さらいにやってくる。シベリアに連れて行かれる」と大人達から聞かされていた
●ケータショーは検査場とも考えられる
●ケータショーはハツキタショー(羽津北小学校)とも考えられる
●『シュンガ』は四日市にあるお菓子屋、春華堂(シュンカドウ)とも考えられる
●韃靼海峡の下りは、安西冬衛の詩『春』の引用
●『平和希求』は、昭和二十年代の民主主義教育の下で、盛んに使われた言葉
●『スズカケのケ』は『鈴懸の径』とも考えられる
●富田に住んでいる友人が、トイレ掃除の際にこの事件の話をされた。信憑性は低いが、噂があった。



売春島の存在は、私も耳にしたことがあります。そこから逃げ出せた女性のインタビューみたいな記事を、何かの雑誌で読みました。捏造記事かもしれませんが。
また、海外へ拉致されるというと北朝鮮のイメージが強いですが、コメントを読み、それ以外の国の可能性もあるということに気付かされました。

ちなみに、私の知人男性(父親がヤクザ、両親の死後に様々なトラブル)は、パチンコ屋のサクラとして働かされたことがあるのですが、住んでいた千葉県から遠く離れた島での住み込み勤務でした。島の名前を聞いたのに、当時は興味が無かったので忘れてしまいました。もう一度聞こうと電話をかけたら繋がらず、以来、音信不通です。
まあとにかく、知人男性は夜中に中国人が青龍刀の手入れをしている姿を見て、恐ろしくなって島から逃げ出したそうです。知人男性は『中国人』と言っていましたが、韓国(朝鮮)人だったかもしれませんし、青龍刀かどうかも断定はできません。
9年前の話ですが、人がどこかに連れていかれて働かされるというのは、大昔や映画の中の話じゃないのだということがよくわかりますね。



さて、この怪文書が届いてからしばらくした後、加茂前家に今度は『福岡県に住む緒方達生と名乗る人物』から手紙が届きました。ゆきちゃんは既に他界しているので、ゆきちゃんの霊の協力でダウジングし、遺体を捜索する。犯人は顔見知りの男女二人だ。という内容です。
しかし、その三日後に同人物から「ゆきちゃんの霊を邪魔する別の霊が現れたので捜査に協力できなくなった」という手紙が再び届きました。

そして、今度は2003年の10月に、若い男性の声で不審な電話がかかってきました。(事件から12年経過)
男性は自分の体格や髪型などの特徴を述べたそうですが、その中に「自分の身長170センチで髪型はパンチパーマ」という発言があります。
パンチパーマというのは、失踪当時の目撃情報にある白いライトバンの運転手の特徴であり、関係者しか知らないはずの情報(その時点では未公開)だったそうです。



怪文書や不審な電話が全て意味の無いイタズラだったとしても、この事件、興味深いですね。
誘拐や失踪など、まだ生きている可能性がゼロではないものにも時効があるって、その家族や友人にとってどんなに辛いことでしょう。

うおおおお!なんて暑さ!なんでこんなに暑いの?Qué calor hace!!!! ¿Por qué hace tanto calor?
急におにぎりが食べたくなってコンビニ行ったけど、暑さと眩しさで眩暈がハンパない。本当に危ないよ、これ。倒れる人続出するよ。


今日も体調が悪い。一昨日も昨日も胃痛やら強い頭痛やら幻臭やら吐き気やらでダウンしかけていたけれど、今日もまだ復活ならず。
幻臭キツいです。四六時中ジッポオイルやガソリンみたいな匂いがしてるのって、結構な拷問です。
幻臭から解放されるのは、何かの匂いを直接嗅いでいる時だけ。だからといってカール君をずっと鼻に押しつけてくんくんはあはあしているわけにもいかないし。


この莫大なストレスを無くす方法なんて無いってこと、わかってる。私が私じゃなくならない限り、共生していかなきゃならないんだ。
きついなあ。

肉体と精神を犠牲にしてでも、続ける価値があるのだろうか…って疑問に思ってしまう時点で、もう答えは出ているのでしょう。
それでも抗うのは、わがままってやつだ。
生きるのも、死ぬのも、わがまま。


では皆さん、日射病(insolación)や熱射病(golpe de calor)など、熱中症(hipertermia)には気をつけてくださいまし。

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『目を守る』と言えばサングラス。
夏の日差しは強いので、眼球が目玉焼きにならないように気をつけねば。日傘を差していても、照り返しでやられます。
サングラスをしていると感覚が狂うし、鼻にあとが付くのが嫌だから、滅多にしないんだけどね。

こっちの(下の画像)サングラスは、そんなにあとが付かないから好き。だけど変…
まあ、私はそもそも、太陽が出ている時間に出歩くことも稀というモグラ人ですがね。日焼け厳禁ですし、日焼け止めで余計に肌が荒れたりするので、夏は特に外出したくないのさ。

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さて、外でどんなに守ったとしても、室内で目を酷使してしまいます。PC、iPad、スマホ、読書、裁縫etc…
目薬や蒸気の出るアイマスク、目の周りのマッサージなどでケアすると、今までどれだけ疲れ目だったのかがよくわかることわかること。ケアする前と後が全然違うもんね。視界がクリアになる。

そうそう、冷蔵庫で冷やしておいた和菓子を乗せてみたら、心地よかったですよ。皆さんもぜひやってみてくださいね。

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昔、父にもらったイノシシを、実家から連れて帰りました。結構デカいです。

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カールは、ホラー漫画みたいな驚き方をしてくれました。

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 勇敢に立ち向かうカール。うむ、良いフォームじゃ。

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無抵抗のイノシシを両手で押さえ、容赦なく齧る…

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その後、疲れ果てていつものように爆睡です。ギャランドゥー。

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1.餃子の皮で作ったアラブ料理のサンブーサ
2.椎茸のマヨチーズ
3.スペイン料理の具だくさんアヒージョ
4.インドネシア料理のナシゴレン
5.フィリピン料理のアドボ
6.ハム巻きカイワレ
7.シンガポール料理のサンバルブラチャン
8.マッシュルームのアヒージョ
9.茗荷とオクラと豚肉のバルサミコ炒め
10.メキシコ料理のチリコンカン
11.イタリア料理のアクアパッツァ
12.新鮮野菜サラダ



上記の画像は確かに私が作った料理だ。だが、私は昔、料理が嫌いだった。
包丁なんか凶器だし(刺されそうになったことあり)、火を使うのは危ないし(実際に服の袖に引火したことあり)、下準備だの洗い物だの一連の作業が面倒臭い。
特に、誰かのために作るのは大っっ嫌いだった。「まだ?」と待たれるのも、手元を見られてあれこれ言われるのも、味にイチャモン付けられるのも、発狂したくなるほどイライラする。
小銭払って生涯ジャンクフードでも食ってろバカ舌!

一時期は、仕事で厨房に入って楽しくやれるようになった。だが、それは仕事だったからできたこと。職場以外では気が乗らぬまま。
お腹が減った時、見かねた弟がガーリックライスを作ってくれる始末。


そんな私が、ほぼ毎日料理をするようになったのには理由がある。それは、食べたいものが売っていない売っているものは味が濃い、ということに気付いたからだった。
そして「こりゃ自分で作るしかないな」ということで、和食やらフィリピン料理やらスペイン料理やらペルー料理やらを、せっせと作るようになったのだ。

ただし、自分で興味のあるものしか作らないので、簡単な定番料理は作れない。
「なぜメキシコ料理は作れるのに玉子焼きは作れないんだ?」と聞かれるが、そういうことである。
これはギターでもそうだ。「なぜクラプトンの曲が弾けるのにドレミファソラシドが弾けないんだ?」と、よく聞かれるが、弾きたい曲から弾き始めたからだ。


実験のように料理を作りまくり、今では弟から『肉じゃがナンバーワン』の称号をいただくほど、料理の腕が上達した。
私の料理の腕前は、他人にとやかく言われるようなものではないのだ。
言いたい奴はただの格好付け野郎。通ぶりたいだけ。だから余計にムカつくのだが。
そういう奴は、外食しても文句ばっかり言っている。「これなら俺にも作れる」だとか、「これは本物じゃない」だとか。


以前、弟に車を出してもらい、当時の彼氏を連れて某レストランに行ったことがある。そこで、弟オススメの料理を食べたのだが…
「なんだ、マヨネーズで味を誤魔化してる」「このイカは冷凍だね」「これだったら簡単に作れる」「これにこの値段はダメ」「こんなの好きなの?」

死ね。
もう、死ね。こういう奴、本当無理。人間的に無理。
そいつは私の手料理にもゴチャゴチャ言ってきて、だったらおまえが作れということで作らせたら、それがカロリーメイトサイズのしょっぱくてコゲたダシ巻き玉子で、もう本当に死ねと思ったもんだ。
携帯折って窓から投げて傘で殴って、こっ酷くフッてやったから、まあスッキリしたけれど。


でも、やっぱり誰よりも死んでほしいのは、あのクソ男だ。
私が包丁を使っている時に、後ろから「わっ!」と大きな声を出して驚かせて、危ないからやめてと言ってもしつこく何度もやってきたクソ男。
逆ギレして包丁奪って「刺せよ」って、バカだろおまえ。だったら包丁奪うなよ。 

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