⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

October 2015

西船探検1から何記事か書いた、防衛省西船橋官舎(廃墟)のすぐ近くにある、『気象庁船橋寮』が封鎖されていました。新たな廃墟の誕生です。

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この辺りの寮は、なんだかどんどん廃墟化していっていますね。
都市開発のためなのでしょうか?
畑が無くなり、古い建物が無くなり、昔の面影が失われていきました。

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その足で、防衛省西船橋官舎へ。
あれから何か変化はあっただろうか?と。

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前回様子を見に行った時より、更に木が切られ、雑草も処理されていました。
あんなに鬱蒼としていた一番奥の遊具周りも、すっきり。不気味さが無くなっていました。

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またドングリを拾いました。
ほとんど割れてしまっていましたが、30個ぐらい拾いました。

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枇杷の木に、蕾がたくさん。開花が楽しみです。

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これはサフランです。
甘くて良い香りなので、香水として使われている花です。
黄色い部分がオシベ、赤く垂れ下がっているのがメシベなのですが、このメシベがサフランライスなどに使われています。

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銀杏ゾーンはどうなったかと見に行ったら、そこにも切られた枝がたくさん積んでありました。

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銀杏がほとんど潰れてしまっていました。

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もう落ちてからだいぶ経つので、前回拾った時より乾燥して固くしぼんでいるものが多かったです。

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銀杏拾いも、もうこの場所では今年最後かな…と思いながら、大量に拾って帰りました。
次の記事で、銀杏の処理について書きます。

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カラスウリの種は面白い形をしており、財布に入れておくと財運の上がる御守りになるそうです。

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さっそく解体してみます。

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皮が薄く、よく乾燥していたので、簡単に手で割れました。
割った瞬間、中の空気がポフッ!と音を立てました。

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思ったよりも種がたくさん入っており、見た目は納豆のよう。
昔は果肉のエキスがしもやけの薬として使われていたそうです。

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触り心地もぬるぬるしていて納豆のようでした。
普通に洗うだけじゃ果肉が落ちないので、一粒一粒おしぼりで強く拭うと良いです。

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この種、何かに似ていませんか?
私はカマキリの頭に見えるのですが、ミニチョコクロワッサン、パンツ、結び文etc…
乾燥すると黄金色になり、打出の小槌に見えるはず。

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乾燥させた種は漢方で王瓜(おうが)と呼び、清熱、浄血、催乳薬、慢性の咽喉炎などにも使われるそうです。
また、地下の塊根から採取した澱粉は天花粉と呼ばれ、汗疹の予防や治療に使われていたことも。

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乾燥したらだんだん黄金色になってきました。

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ちなみに、カラスウリの別名は、キツネノマクラ、玉章、ヤマウリ、ツチウリ。
雌雄異株で、花は夏の夜間のみ咲きます。
この花がまた珍しい形をしており、なんとも妖艶なのです。ぜひ検索してみてください。

番外編です。


妙見神社の奥で、ランタンのようにぶら下がった赤いカラスウリを見つけました。
その後、境内の隅に誰かが捨てたものがあったので、いただきました。
もう赤くなっているので料理に使うことはできませんが、種が欲しいのです。後日、種の使い道をUPします。

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これはおそらく、ヒサカキの実。
食べてみたら一瞬だけベリー系の味がしましたが、すぐに苦い薬のような不味さが。

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これはヒヨドリジョウゴ。
赤い実が美味しそうですが、ソラニンが含まれているので食べてはいけません。

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フェンスの向こうの竹藪内に、お稲荷さんが祀ってありました。(妙見神社の物ではありません)
いつ作られたのかは不明ですが、祠は結構古いものだと思います。

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葛羅の井戸より先に進み、妙見神社へ。
日が暮れてきたので、今日の探検はここを見ておしまいにします。

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寺内妙見神社
御祭神:天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
 
神社の前面を北から南へ帯状に伸びる地域は、最近までは水田地帯、往古には海からの入江で白砂青松、景勝の処で台地の上では、古代から人々が生活していたと推察される。
この地は昔から「寺内」と称し、西に「本郷」、東に「印内」と間近に各々独立した村落が形成されたのは、すでに鎌倉時代に溯ると思われる。印内は「院内」で寺院内の意であり、それぞれに別の寺領域の中心であった。
御祭神は古事記神代巻の初めに載る、天地創造、萬物造化の祖神である。
また北辰星宿を司る御神威により、妙見大神と奉称し、安産子育て、方除け、学業増進、生業繁栄の御神徳を有せられる。
古来下総国の豪族”千葉氏”の尊崇した神で、其の勢力が台頭した中世期に、此の里の鎮守として篤信の士により奉斎されたと考えられる。
近年枯死した境内老松の年輪が五百年余を示し、その経緯を裏付けている。
この附近、二子、本郷、西海神等にも元から妙見社の小祠はあったが、(船橋市史・前篇)特に「妙見」を神社名として奉祀するのは当神社のみであり、そこに深い由緒の係わりが偲ばれるのである。
 
御本殿 一間社流れ造り 江戸時代末期の造営
昭和四十七年、奉賛会の総意により拝殿の再建をはじめ社務所の新築、手水舎、狛犬、灯籠、鳥居、石段、参道等を竣工し旧状を一新した。
 
例祭 十月九日 新嘗祭 十一月下旬に執り行われる
今上陛下御在六十年の佳年を期して茲に当神社の御由緒の一端を記す。
昭和六十一年十一月吉日 宮司 千葉博 妙見神社奉賛会

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手前の鳥居は昭和47年10月に建てられたもの。

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奥の鳥居は明治36年10月に建てられたものです。

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この階段を上る余力が残っていて良かった。(今日はほとんど自転車移動だったので)

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伊勢神宮参拝記念碑。

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急な階段で心臓が破れそうになりながらも、到着です。

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階段を上がってすぐ右側に、昭和52年1月建之の『御神木跡碑』がありました。
直径約六尺、年輪六〇〇年を数える巨松を御神体としていたそうですが、枯死してしまったとのこと。

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昭和47年10月建之の狛犬は、少しアニメ風で、狛犬というよりもシーサーのような愛嬌があります。まあ、狛犬もシーサーも同じ獅子なのですが、なんとなくね。

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手水は萬延元年正月に奉納されたもの。
こうしてちゃんと年月日の記載があると、当時の人々をここに思い浮かべることができるので楽しいです。

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紀念碑は読みにくかったので、またいつかじっくり。

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こちらは、年月日が読みにくいのですが、大正8年10月2日でしょうか?

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こういう場所にゴミを捨てる人に、それなりのバチがちゃんと当たっていますように。

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こちらにもゴミが浮いていました。

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灯篭は、最初の鳥居や狛犬と同じく、昭和47年10月建之。

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木の色が渋くて素敵な、一間社流れ造りの本殿です。
先程の掲示板に、江戸時代末期の造営とありましたね。 

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先程見た御神木跡碑、そこに立っていたであろう巨松が、拝殿の中にありました。
できればもう少しちゃんとした場所、奥の神殿に置いてほしいような…

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本殿から隠れるかのように、境内奥でひっそりと佇む石塔群を発見しました。

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この一匹の狛犬が、なんとも良い表情をしているのです。
どこからどうやってここに置かれたのか、パートナーはどこへ行ってしまったのか、様々な思いが巡ります。

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安政5年4月建之と見られる疱瘡神がありました。
他は劣化が激しいため、不明です。

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こちらの石祠は扉が崩壊していますが、側面の『明治27年1月31日』という文字は無事でした。

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後ろからも撮りました。
また訪れてじっくり観察したいです。

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先程、葛飾神社の看板に『大正五年一月十三日、一郡総社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地(現船橋市文化財西船六丁目葛羅の井戸)(昔、葛飾大明神御手洗の井戸)の西側台地より此の地に奉遷奉斉し』とあったので、葛羅の井戸へも行ってみることにしました。

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葛羅の井戸を目指し、ひたすら進むと、目印となる巨木が見えてきました。

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市の名木10選に選ばれた、船橋市最大の欅(ケヤキ)です。
ここに葛飾神社があった頃は御神木だったそうです。

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看板によると、昔、葛羅の井戸の水脈は竜宮界まで通じていると言われていたそうです。
また、どんな日照りの日にも水が涸れることはなく、水を飲めばマラリアが治るとも言われていたそうです。
見たい!飲みたい!(マラリアじゃないけれど)さっそく井戸へ向かいます。

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巨木と民家の間に敷かれた飛び石を辿って細道を入っていくと…

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ありました!これが鎌倉時代からの名泉、葛羅の井戸(葛羅ノ井)です!
昭和40年には市の指定文化財に指定されています。
飲むのは絶対にやめたほうがいい色ですが、なんとも深みのある美しさ!

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石柱と鎖で囲まれているせいか、夜中に光って何かが出てきそうです。
もしくは、呪文を唱えるとゴゴゴゴゴ→水が無くなる→お宝発見。

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第二次大戦後、散歩中の永井荷風が雑草の中から発見したこの石碑の側面には、文化9年に大田南畝が詠んだ『下総の勝鹿(葛飾) 郷は栗原に隷す 神はにぎを祀る 地は醴泉を出す 豊姫の鋻する所 神龍の淵 大旱にも涸れず 湛乎としてこれ円なり 名づけて葛羅と曰う 絶えざること綿綿たり』という一文が刻まれています。

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側面の写真を撮り忘れたので、先程の看板を参照。

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それにしても、飲める湧水や川の水なんてものはこの辺りには無いのかと思うと、何とも言えない気持ちになりますね。
でも、こうして場所が残されているだけでも、とても嬉しいです。

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