日本が大凶作によって米不足となったのは、1993年秋のこと。
外国米を9年ぶりに緊急輸入するも、味や食感が不評で、カビがみつかるなど衛生面も悪かった。そのため、翌年3月には国産米を求める長蛇の列があちこちに出来た。高値で売る人や売り惜しむ人も出てきて、わりと大変な騒ぎとなった。
これが平成コメ騒動である。

すぐに豊作になり、この騒動は嵐のように去っていったが、あのまま大凶作が続いていたらどうなっていたのだろうか?
農家の人を考えると、パンや麺類を食べればいいじゃんって問題ではないし。


輸入米の中でも超絶に不人気だったのが、長細いパサパサのタイ米。
皆が口々に「不味い」「合わない」「臭い」と言い、緊急輸入までしたのにタイ米だけが売り場にポツンと売れ残る始末。
しかし、私(当時小学生)はこのタイ米が大好きだった。祖母がシーチキンとケチャップで炒めてくれたタイ米なんて、もう最高。「美味しい美味しい」と食べる私を見て、祖母も嬉しそうだった。

私は、顔をしかめて不満を言う周囲を見て、幼いながらにこう思ったものだ。

口に合わないからといって「臭い不味い」と声に出して言うのは、タイの人々に対して失礼ではないか?工夫して調理してくれている人にも失礼ではないか?味がどうこう言えるだけ、まだ余裕があるんだな、贅沢者め。


今でもふと思い出す、あのタイ米の味。
ゲテモノでも雑草でも何でも食べ、好き嫌いは特に無い私だからこそ美味しいと思えたのだろうか。祖母の手料理だから美味しかったのか。
あれ以来、これだこれこれこの味だ!というタイ米には出会っていない。


余談だが、私はタイ雑貨を扱う店でバイトをしていたことがある。
アカ族やモン族の伝統的な刺繍入りバッグ、カレン族のカレン・シルバーで作られたアクセサリーなど、細かい手作業で作られた品は実に味わい深かった。
催事の店だったので短期間だったが、色々勉強になった。
「裏メニューとか無いの?」ときいてくるお客様が時々いたのは面白かったなあ。