友人、ぴろしの命日。
もはや何回目の命日かわからなくなってしまった。
生きていたら、とっくに大学を卒業して、社会で活躍していることは確かだ。

殺した奴らの中には、とっくに結婚して子供がいる奴もいるだろう。ただ働いているだけで「更正して偉いね」なんて言われている奴もいるだろう。
世の中にはどんなに悪いことをしてもバチなんか当たらずに、平気な顔をしてのうのうと暮らしている奴がいくらでもいる。

私は、医学的な死、宗教民族学においての日本人の死生観、各国の死生観、エジプト学のミイラ、メメント・モリ、その他にも色々と講座で学んだ。

それらの知識は、人の死と己の生を脳内で消化するために役立った。
ぴろしの場合、自然死ではない以上、それ自体の消化は難しいが。

ちょうど今日は祖父母の墓参りに行ったので、ぴろしを含め様々な原因で亡くなった人たちに思いを馳せることができた。

今生きている人も、いつどこでどんなふうに亡くなるかわからない。

もちろん私も。
死後に見られたらヤバい物(恥ずかしいポエムとかじゃないぞ!)は、なんとかしておかなきゃね。