⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

タグ:ドングリ

弟から廃墟の情報を得たので、さっそくここへ行ってきました。

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まずは下の道を歩いてみます。

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さっそく登場した廃墟は、昔は惣菜屋だったであろう建物。
ほとんど文字が消えていますが、うっすら『お惣菜』と読めます。

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武蔵野線のガード下手前にも、廃墟がありました。

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こちらが玄関のようです。

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こちらは裏口。豆電球が懐かしいですね。

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二階。ベランダが荒れ放題です。屋根も含め、家自体がぐにゃっと曲がっています。

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その隣のアパートも、いつの間にか廃墟になっていました。

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一室だけベランダから中が見えました。

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ロフト付きのワンルームだとわかります。

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外には放置自転車が。すぐ後ろを京成の電車が通過中。

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その隣は切り株だらけの空き地です。

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武蔵野線のガード下まで来ました。

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一旦道を戻り、今度は上の道を歩いてみます。

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パチン、パチン、と音がするので、もしや!と思ったらドングリでした。
風が吹くたびに小さなスダジイが落ちてきます。

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折れ枝からカワラタケが生えていました。
食用ではありませんが、癌治療に使われる薬用キノコです。

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小紫(コムラサキ)も綺麗でした。

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写真右側の下が、最初に歩いた道。転がり落ちたら怪我する高さです。

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武蔵野線のガード手前の階段を下り、最初の道に。

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先へ進みます。

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途中で猫の足跡がしっかり残ったアパートを発見。

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別の道へ出る辺りに、貴重な茅葺(かやぶき)が!
住宅ではなく、倉庫として使われているようです。

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海軍の痕跡を探すため、自転車を降りたり乗ったりしながら円の周辺をうろつく私。
すると、民家と民家の間に鎮守の森が突如現れました。

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場所はここです。

行田神社


神社の名前はどこにも記載がありませんが、稲荷神社のようです。

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鳥居の裏を見ると、鳥居はさほど古くないことがわかりました。

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鳥居の先は、古めかしさたっぷりの祠が。

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手前にはキツネ(昭和54年)が君臨。どかされた首無し像(昭和十年代)がその後ろに…

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あっ!賽銭箱の横に顔が…

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近くに色んな破片がありました。

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碑文には『昭和四年九月九日、元宮山林、八畝十五歩』『昭和十四年十月建立、平成十年二月修復』と刻まれていました。

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木々が鬱蒼とした周辺。

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もちろん拾いました。

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これは何の実でしょうか?

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近くの道路脇で怪しい石柱を見つけましたが、劣化しすぎて文字が読み取れず。

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神社を出て、星印を付けた辺りまで進みます。

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畑の横で発見。
埋まっているので『道』しか見えませんが、道路境界石です。

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注意深く歩いていたら、また発見。

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畑の隣に正学館の塾とコンテナが。
見るからに何も無さそうですが、なぜか気になり、導かれるように奥へ…

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一番奥、左のコンテナの裏に、これはまさか!

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あったー!

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船橋市のマークが入った石は結構あちこちにあります。

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道を戻り、行田東小学校へ。
そこでついに発見です!植え込みの中に『海軍』の文字がしっかり入った石が!
『許可ナキ者ハ入ルベカラズ 海軍省』

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海軍無線電信所跡地とその周辺・3(海軍の痕跡を探そう!)へ続く

船橋海軍無線電信所跡地に行ってきました。戦争遺跡です。
昭和16年12月2日午後5時30分に、真珠湾攻撃実行の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した事で知られています。

ニイタカヤマ(新高山)とは、日本領だった台湾の玉山(標高3,952m)のことです。当時の日本の最高峰でした。
一二〇八は12月8日のことなので、この暗号は『12月8日午前0時をもって真珠湾攻撃を開始せよ』という意味。

大正4年に旧海軍の無線基地が完成、昭和16年頃に長短波用の大アンテナ群が完成、そして昭和46年に全て解体されましたが、直径800mの円である独特の地形は今もそのまま残っており、ミステリーサークルとも言われています。

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ちなみに、最近行った①防衛省の宿舎、②大六天神社、③八幡神社、④鉄道・運輸機構の宿舎、のすぐそばです。

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<以下、引用>

無線関係の機器一式は、ドイツのテレフンケン社製のものが採用され、ジーメンス社に発注が行われた。
着工は1913年。しかし、翌1914年に第一次世界大戦が起こり、日本がドイツに宣戦布告をしたことから、ジーメンス社の技術者が図面を焼却して帰国してしまった。
そのため、工事は困難を極めたが、1915年4月には開所式が行われ、同年7月にはハワイとの間で通信試験に成功。8月より正式に軍用通信が開始された。
1916年には逓信省の通信所が併設され、大相撲の結果などを外国航行船舶等に乗り組み、日本を遠く離れていた船員達に知らせ喜ばれるなど、民間向けにも利用されたという記録も残っている。
ハワイの無線局と日米間通信が1924年まで行われたが、中でも1923年に起こった関東大震災の際には、銚子無線電信所と共に通信が壊滅状態になった東京都心の被害情報を、横浜港に停泊中の船舶からの打電を受信して新聞社が集まる大阪市など国内外に発信、救援活動に多大な貢献をした。なお、この出来事は船橋の名を広く世界に知らせるきっかけとなった。
また同年、霞ヶ関の海軍省内に受信所が置かれたため、名称が『海軍無線電信所』から『海軍無線電信所船橋送信所』に改められた。
昭和10年代に建て替えられた鉄塔の高さは、約60メートルから200メートル近くあるものもあり、ランドマーク的な役割を担い船橋市民(特に西船橋周辺の地域の住民)に親しまれた。
戦後は進駐軍が接収し1966年に返還されたが、1971年5月19日から解体が開始された(1972年まで)。


さてさて、まずは行田公園へ。

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東側を少しだけ見ました。
マチバシイやケヤキなど様々な樹木があり、サイクリングロードをウォーキングする人や所々にある健康遊具で筋トレする人、芝生で遊ぶ子供達など、じつに平和な光景です。
春には花見をする人も多く訪れます。

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カラスの巣があるので見上げるのさえ危険という…

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目当ての物は西側にあるので、大きな歩道橋を渡って移動します。

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歩道橋の上から西側を見たところ。

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西側へ到着!目当ての物がありました。
船橋無線塔記念碑です。

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碑文
『ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。大正4年に船橋海軍無線電信所が創設された。大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。大正12年の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。昭和16年の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太平洋戦争開幕を告げるニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年5月解体され栄光の歴史を閉じた。』

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中に入ると、左側に人工池がありました。

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入って左側の植え込みに、無線塔があった頃の写真が。

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入って真っ直ぐ進むと、花時計があります。
その向こうにある芝生で、近くの小学校のサッカー部員が練習中でした。

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公園内の日本庭園に行ってみます。

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コナラを発見。

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もちろんドングリを拾いました。

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猫!

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ここが日本庭園です。鴨が何羽も泳いでいました。

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もう少しじっくり見たかったのですが、日が暮れる前にまだまだ撮りたい場所があるので公園を出ます。


海軍無線電信所跡地とその周辺・2(海軍の痕跡を探そう!)へ続く

では、一番奥に行って締め括りたいと思います。

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ここが最も雑草だらけで、鬱蒼としています。奥には遊具。

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上を見上げると、女郎蜘蛛がいました。

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足元には素敵な色をした野葡萄(ノブドウ)の実。
しかし、味はマズく、虫えい形成生物(Gall-maker)であるブドウタマバエやブドウトガリバチの幼虫が寄生して虫えい(Gall)を作っていることがほとんどなので、食べないほうがいいです。

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これは屁糞葛(ヘクソカズラ)です。酷い名前だよなあ。
実の汁はシモヤケなどに効くそうですが、名前から想像できるように匂いがヤバいんだとか。

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はっ!こ…これは!我が愛しのドングリ!

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見上げると…

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ああ、立派な樫(カシ)の木だ。
どうかこれからもずっと、切り倒されずここにあってほしい。

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もちろんドングリを拾いました。
こんなに拾ったのは、ここ数年で一番です。

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並びには桜(サクラ)の木。こちらもかなりの樹齢だと思います。

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椿(ツバキ)の木もありました。

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色んな植物があって楽しいです。

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さっきの遊具のところまで入ってみます。

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また女郎蜘蛛がいました。活発に動いています。

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蜘蛛の巣を壊さないように注意して、遊具に到着しました。

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錆びたブランコに愛馬を乗せてみました。

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ブランコの裏には雲梯が。その奥から見た景色です。

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その後、銀杏を一粒ずつ解体し、よく洗いました。
素手だとかぶれて手がボロボロになるので、ゴム手袋を着用。

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ベランダに数日間放置します。

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これで防衛省西船橋官舎の探検記事はおしまいです。
廃墟特有のおどろおどろしい感じは少なかったけれど、なかなか見応えがありました。

前回『ごく普通の日記』に書きましたね。ドングリ拾い場(勝手に命名)に猫が一匹いたことを。
で、また今日ドングリを拾いに行ったら、なんと……

猫、増えてた!
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いったい何匹いるんだろう。とりあえず六匹は確認したけれど、まだどこかに潜んでいそうです。
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ガンガン近寄ってくる人懐こい猫もいれば、常に身構えて距離を保つ警戒心ハンパない猫もいて、「あー、この警戒猫はなかなか餌にありつけないんだろうなー」なんて思いました。
甘え上手が得をするのは人間と一緒ですね。尤も、人間の場合は、甘えと媚びも見分けられないようなバカがへらへらして餌を与えておりますが。


結構拾ったなあ。どうしよう、これ。
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前回も拾ったイチイガシとクヌギ、今回は松ぼっくりも拾いました。

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