⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

タグ:バラック群

鼠のミイラに手を併せた後、キッチンの奥から店内を撮りました。
向かいにもう一部屋あるのが見えます。

2015-10-21-14-48-21

2015-10-21-14-53-12


ここが“個室”とされていた場所なのでしょう。

2015-10-21-14-59-45


入ってみると、確かに水路側へ傾いているような…
なによりも、手作り感満載というか何というか。

2015-10-21-14-59-58

2015-10-21-14-53-45


個室の席料は200円だったようです。

2015-10-21-14-54-25


飲み放題、歌い放題のコースもあったようです。

2015-10-21-14-45-47


し尿収集伝票が落ちていました。
個人名にはモザイクをかけさせていただきます。

BlogPaint


さっそくトイレを拝見。

2015-10-21-14-38-36


下が営業していた頃の写真。またそらす様より提供。

バラック8


外から見ると、トイレのある場所からボットン便所の面影たっぷりな臭突が伸びています。
ちなみに、その横の引き戸は開きません。中から見ても壁になっているので、謎の部屋(?)です。

2015-10-21-15-14-56

今では窓も崩壊し、開けっ放しになった窓から植物が侵入しているこのバラック。
確かにかつては飲食店として営業していました。

2015-10-21-15-00-32


確実にわかっているのは、平成24年(2012年)の10月12日から『居酒屋Go』として営業していたということ。
立ち退きエリアでのオープン、それも「ボロすぎる居酒屋」としてのオープンでした。
こんな場所でイタリア料理が食べられるなんて本当?といった感じで、一部では話題にあがったようです。

2015-10-21-15-00-44


両親ともイタリアンシェフの店主は、18歳の時に最年少でイタリア視察団に参加し、イタリアを訪れました。
その後、22歳でイタリア・ミラノの料理学校(ピザ・スクール)を卒業、ピザ・チャンピオン店での修行を経て、イタリア・フィレンツェでレストランを経営。
日本へ帰国してからも、イタリア料理のレストランを複数店舗経営していました。
そのうちの一つが『カンティーナ』だったようです。 
 
2015-10-21-15-02-06


ところが、37歳の時、2度目の交通事故に遭って足を負傷し、車椅子生活になってしまいました。
医師からは「完全には戻らない」と宣告され、一時的に失業したそうです。

2015-10-21-14-49-58


その後、シェフはどん底から這い上がる精神でリハビリに励みます。
そしてついに、二年半のリハビリで杖があれば歩けるほどにまで回復したシェフは、このバラックで居酒屋Gоをオープンしたとのことです。

2015-10-21-14-48-36


店内は10坪、カウンター9席、ボックス1席、床が傾いている個室、汲み取り式トイレ(立ち退きエリアなのでリフォームができない)という環境下、16時から翌2時まで定休日未定で営業。

見てください。Goとして営業していた頃のピザやパスタを。
とても美味しそうです!

バラック7

バラック4


こちらはそらす様より提供していただいた、当時のドリンクメニュー。(ピザの写真もそらす様)
そらす様のブログ、そらすの喰歴2 http://sorasu2.blogspot.jp/ 2013年9月4日 居酒屋 go @船橋 「ピザ」 に、当時の様子が詳しく書かれていますので、ぜひ。

IMGP7786


さて、平成24年10月12日にオープンしたGoですが、翌年、平成25年8月1日には閉店しています。
と言うよりも、店主は千葉の新しいレストランに行き、一緒に働いていた男性にこのバラックをバトンタッチしているのです。
そこからここは、居酒屋ちゃあちゃん、もしくはちゃーちゃんの店、もしくはKになったのではないかと思います。
または、Goがオープンする前もこのバラックは居酒屋だったとのことなので、それがちゃあちゃん、ちゃーちゃん、Kのいずれかだったのかもしれません。

2015-10-21-14-48-21


ここでまた一つ、疑問が生まれました。
おせち料理のチラシに載っていた『サルーテ』を検索してみたところ、食べログに情報があったのです。
食べログの写真を見ると、このバラックみたいな要素はゼロで、本格的なオシャレストランって感じ。
電話番号も一致していますし、同じ店であることは確かです。
しかし、住所は千葉県千葉市若葉区〇〇〇〇

そして、平成23年(2011年)12月に訪問した女性の、「ホームページを見ると開店して24年って書いてあります」というレビューを発見。
確かその時期は失業中・リハビリ中だったはず…??
サルーテのホームページは、探したけれど見つかりませんでした。 
また、ぐるなびには、平成23年(2011年)から平成24年(2012年)に数件、レビューがありました。


後日、再び検索すると、ぐるなびのページが変わっていました。
そしてそこには衝撃の新情報が書いてありました。

『市川~千葉で29年目リストランテ・サルーテは今年2015年11月千葉モノレール千城台北駅付近に移転オープン致します』

『イタリアをこよなく愛しフィレンツェにオフィスを構え常に現地と日本の旬を盛りこみ素材感を最大に引出す味わい(以下略)』


話をまとめると、若葉区のサルーテは24年前からずっと営業していた、そこ以外にも市川~千葉で店舗を構え、総合すると29年、このバラックのGoは支店のようなものだった、ということだったのでしょうか?
事故の後は、サルーテを一時的に誰かに任せていたとか、そういう感じ?
そして若葉区のサルーテは千城台へ移転…もうしたのかな?

2015-10-21-14-44-58


なんとなくスッキリしたところで、探検を続けます。
何にせよ今、このバラック、居酒屋Go跡地の時は止まっているのです。
そして、他のバラックのように崩壊するのが先か撤去されるのが先か、という状態なのです。

もちろん、サルーテには 行ってみたいです。行けない距離ではないし。

2015-10-21-14-50-42


よく見ると、キッチンの捕鼠器の中には、ミイラ化した鼠が一匹永眠していました。
ハエもウジもいないことのほうにびっくりです。
最後のお客様は、この鼠か。

BlogPaint

壁に古ぼけたポスターが貼ってあるのを発見しました。思わず二度見、三度見。
えっ?!ピザ?!カンティーナのピッツァだと?!
イタリアで研修する男性の写真には、『当店カンティーナのシェフ、22歳の頃』と添えられています。
まさかここはピザ屋だったのか?!

2015-10-21-14-38-03


今度はカウンターで、『居酒屋ちゃあちゃん』の判子を発見。
ここはカンティーナのはずだから誰かの忘れ物かな?と思いましたが、判子の住所を見ると確かにここです。

2015-10-21-14-39-55

2015-10-21-14-40-54


と思えば、頭上におせち料理のメニューが。
しかも、イタリアンおせち!
キャビア、ブイヤベース、フォアグラ、ローストビーフ、幻の白トリュフ…
2010年のメニューで、店名は『リストランテ・サルーテ』となっています。

2015-10-21-14-41-36


キッチンの窓にドリンクのメニューがぶら下がっていました。
カラオケ一曲200円の文字を見て、カラオケもあったの?と思い、辺りを見回すと…

2015-10-21-14-45-11

スピーカーが残っていました。

2015-10-21-14-52-31


次の画像は、営業していた頃のもの。
書かれているのはフードメニューですが、私が撮ったのと同じホワイトボードだと思います。
一番下に「本格イタリアメニューあり!!」と書いてあります。

バラック5


壁に掛けられたカレンダーを見ると、2014年1月…えっ?
去年?去年まで営業していたということでしょうか?最近すぎてびっくりです。
22日まで線が引いてあるので、そこまで人がいたことは確かです。

2015-10-21-14-43-38


混乱してきたので、と言うよりも外の空気が吸いたくなったので、一旦出ます。

2015-10-21-15-07-52


外には冷蔵庫がいくつも放置してありました。
開けてみるとほとんどが空っぽでしたが、一台だけ中に靴が入っていました。
まさか下駄箱代わりにしていたんじゃ…

2015-10-21-15-05-36


看板も発見しました。
カウンターにあった判子は『居酒屋・ちゃあちゃん』でしたが、この看板には『ちゃーちゃんの店』の文字が。

2015-10-21-15-08-51


もう一つ看板を発見。こちらは『K』です。

2015-10-21-15-08-38


カンティーナ、サルーテ、ちゃあちゃん、ちゃーちゃん、K……
いよいよ次の記事で謎を解明いたします! 

もう三回も行ったのに、どうしても我が心を揺さぶって止まないその魅力…
ああ、南本町44番地のバラック群よ…

バラック群2


ということで、四度目のバラック群探検に行った時の写真を、文章と共にどっさりUPしていきます。

南本町44番地のバラック群は、以前も書いた通り、かつては都疎浜と呼ばれた場所。
昔々、強制疎開によって現東京都江東区辺りから移住してきた方々が、放棄されていた塩田跡地に作った集落です。
終戦の後も都内からの引揚者が住んだり、平成に入ってからも誰かしらが住み着いたりして、何十年も変わらぬ独特な風景を保ち続けてきました。
周囲でどんなに都市開発が進んでも、このバラック群だけは変わらぬまま。
いくつかは崩壊、または撤去されたりしていますが、今現在も不法に放置されたままのバラック群は、昔ながらの姿で水路沿いに点々と残っています。
船橋市にとっては、早く消し去りたい最終暗部物件といったところでしょうか。
立ち退きエリアですし、全て無くなってしまうのも時間の問題。今のうちにじっくり目に焼き付けておかねば。

2015-10-21-14-36-09


写真では伝わりにくいかもしれませんが、近代的な真新しい都市と、戦後のドサクサ感漂うバラック、そのギャップの激しさはいつ見ても衝撃的です。
まるで、水路を挟んで未来と過去に分かれているような。

2015-10-21-15-04-58


前回訪れた時、暗くてあまり写真が撮れなかったこのバラックに、改めて入ってみます。
居酒屋として営業していた頃の情報も集めることができたので、当時の貴重なお写真もいくつか交えながら、たっぷり紹介していきます。

2015-10-21-15-04-21

下が居酒屋だった頃の写真です。
ほとんど変わり無いことにびっくりしました。これで営業していたのか!?

バラック1


さっそく中に入ると、前回は暗くてわかりませんでしたが、意外とキレイでした。
停滞した変な匂いの空気は気になりますが…死体などは無さそうです。

2015-10-21-14-37-28

下がだいたい同じアングルからの、古い写真です。

バラック2


今では裸電球のソケットだけが、天井からぶら下がっているのみ。
今回の撮影は、外から差し込む光だけが頼りです。

2015-10-21-14-42-01

下が古い写真。当時はエアコンが付いていたことを知り、またまたびっくり。

バラック3


現在のカウンター。色々散らばっています。
消臭スプレーがありましたが、使う気にはなれず。

2015-10-21-14-38-13

営業していた頃のカウンター。テレビもあったのですね。
こちらの写真は、そらす様よりお借りしました。 http://sorasu2.blogspot.jp/

バラック6
 

時が止まったままの卓上時計です。

2015-10-21-14-51-09


こちらの壁掛け時計も止まっています。

2015-10-21-14-43-19


その下はボックス席になっています。

2015-10-21-14-43-10


テーブルの下に、靴が一足だけ放置されていました。

2015-10-21-15-02-58


冷蔵庫は空っぽ。ワインのシミの様なものがありました。

2015-10-21-14-42-44


次回は、以前の居酒屋とはいったいどんなお店だったのか、更にじっくり書きたいと思います。

このページのトップヘ