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言いたい放題な生息記録

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宝冠釈迦如来を御本尊とする宝成寺は、江戸時代初期に同地域を治めていた栗原藩・成瀬氏の菩提寺として創建された、曹洞宗派の寺院だそうです。

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成瀬正成の次男之成、之成に殉死した3人の家臣、夭折した之虎、第7代犬山城主成瀬正寿などがあり、市内唯一の大名家の墓所とのこと。

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苔生した石段を上っていくと…

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大きな岩がいくつも転がる中、鐘つき台がありました。

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今回は写真中心でお送りいたします。

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軍人さんのお墓がありました!

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また軍人さんのお墓がありました!

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ここからの写真は、成瀬家墓所。

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先程の馬頭観音群から少し歩いたところで、墓地を発見しました。
一見ただの墓地ですが、手前に…

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ボロボロで文字が読めませんでしたが、境界石です。

そしてその少し手前横には…???読めません。

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隣は大正時代の馬頭観音でした!

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この二基の後ろにも何かが二基ありました。

まずはこちら、両側には、月山、羽黒山の文字がくっきりと。ということは、中心は湯殿山の、出羽三山です。

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側面には、文化七寅牛天十月の文字が。

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こちらは。。。。。後で調べます。

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側面は十一月吉日だけ読めました。

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反対側の文字は、安永六…たぶん丁酉年、二月二日か三日でしょう。

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近くにモグラの穴が!

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このキノコ付き切り株も、朽ちた感じが凄いです。

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綺麗に整備されたごく普通の墓地の横には、まだ昔のままになっているお墓もいくつかありました。

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