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言いたい放題な生息記録

タグ:墜落

123便が落とされた理由についてなど、いくつかのサイトから転載させていただきます。
読みやすく文章を整理(段落付け・句読点の追加や削除・文章の入れ替えや追加など)させていただきましたが、内容を捻じ曲げるような編集はしていません。



<他サイトより転載:1>

日本ですでに核兵器が製造されているという情報があります。
長野県の某所で密かに稼動する核施設でプルトニウムが取り出され、岩手県にある表向きは民間施設の軍需工場で原水爆を製造し(コバルト)、日本近海の孤島にある貯蔵施設に隠されているそうです。
しかもその原材料であるウラン精鉱(イエローケーキ)は北朝鮮から入っています。
その島の周辺では、近年魚の大量死といった不審な出来事が続いたため調査したところ、自然界に通常存在している値の実に600倍に相当する放射能が検出されました。
現在は民間人が立ち入り禁止になっており、近付くことさえできません。

この話を聞いて、私にはピンとくるものがありました。それは1985年8月に起きた、JAL123便墜落事故との関連です。
この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。
地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけでなく、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。

123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。
1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。
しかしこの事件には、実は他にも理由がありました。実は123便は核を積んでおり、国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定だったというのです。

アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機で123便を付け狙いました。
日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。
 
しかし、123便の機長は優秀な人でした。日本政府は123便側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで、ベテランのパイロットの搭乗を要求。そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである高濱雅巳操縦士をその任に就かせました。
彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で、すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。すぐさま高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えたのは、この高度ならレーダーに捉えられないからです。

その後、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失った123便は、自衛隊機に誘導されて長野方面に向かいました。
しかし、自衛隊機には123便を助ける気など無く、米軍に嗅ぎつけられたことを知って証拠品である核を消すために、追って来ている米軍機だけではなく123便の乗客もろとも全てを消し去ろうとしました。
自衛隊機は123便を誘導し、待ち構えていた地上部隊がレッドアイで撃墜。こうして123便は、高天原山中にある御巣鷹山の尾根へと墜落したのです。
この時、123便とそれを追っていた米軍機の他、誘導した自衛隊機、NSA(米国家安全保障局)の偵察機、ロシア軍のスホーイも撃ち落とされています。

自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いましたが、事故直後から「おかしい」と気付き、山に入って調査した人がいました。
この人物は、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。
それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時頃には、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。
しかし、現場は険しい斜面で獣道さえなく、近づくのは困難。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。
その後、地元住民らが生存者を救うために入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近付くことさえできなかったと証言しています。
 
なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。
それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。
この時、自衛隊は核兵器の残骸などの証拠品を回収していたのでしょう。

123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)による合意がなされました。世に言う『プラザ合意』です。
アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが、日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。
つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金がジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです。
その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました。

その事実を突き止めるべく、調査している人の話を聞きましたが、彼は今も狙われています。
昨年も電磁波による攻撃を受け、車が大破したと話していました。街中を車で走っていると、急にドーンという衝撃が走り、事故を起こしたわけでもないのに車が突然破壊されてしまったのだそうです。
そうかと思うと守ってくれる人もいて、「つけられているな」と気付くと必ずと言っていいほどトラックが自分の車とつけている車の間に割り込み、逃がしてくれるそうです。


<他サイトより転載:2>

B氏の供述から推定すると、以下のような経緯が浮かび上がる。
’64年、青森六ヶ所村で日本で最初の原発が建てられたが、旧陸軍勢力が現在に至るも原発にしがみついているのは核武装のためである。
六ヶ所村にも地下に軍事工場があり、旧陸軍勢力は’70年頃には既に六ヶ所村で原爆を完成し、次いで’80年頃には神経ガス兵器を完成しているとのことである。
また、B氏によれば、日本が核兵器を保有していることは世界の軍事評論家の常識であるとのこと。

ところが、日本ではその実験をおおっぴらにやることはできない。では、どこで実験するか?
旧陸軍勢力は’85年に、青森六ヶ所村から羽田に原爆材料(イエローケーキ)や固体化した神経ガスを運び込み、日航機で大阪へ空輸しようとしていた。
管理が緩い大阪経由でどこかに空輸しようとしていたに違いない。
当時、イラン-イラク戦争の真っ最中で、当時の原爆技術がソ連から供与されていたことと考え合わせると、おそらくはイランへ空輸して、実際の戦争でその威力を実験するという目論みだったと考えられる。

ところが、旧陸軍勢力が青森で原爆を製造していることも、羽田から空輸しようとしていることも、米ソは掴んでいた
実際、事変当日の東京上空には米偵察機が飛んでいる。それを見たソ連も偵察機ミグ25を飛ばしている。
おそらく、米戦闘機が日航空輸機をミサイル攻撃し、損傷した日航機が超低空飛行で御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソ入り乱れた空中戦が繰り広げられ、何者かによって一瞬で全機撃墜されたらしい。

こんなことを仕出かした旧陸軍勢力とはどんな連中なのか?その勢力は瀬島龍三(元陸軍参謀)をはじめ中曽根(当時首相)など。
ところがB氏によれば、旧陸軍勢力の表向きのトップは瀬島龍三や中曽根だが、彼らが本当のトップではない。本当の頂点は『裏天皇』であり、太平洋戦争の頃から、裏天皇が実権を握っているとのこと。

しかし、その前に、もっと大きな疑問がある。
事変当時'85年という世界中が比較的平和な時代に、日本が米ソに戦争を仕掛けたわけである。
なぜ旧陸軍勢力は米ソ相手に空中戦をやらかしたのか?もちろん、勝ち目など全くない。彼らは一体何を考えているのか?

旧陸軍勢力が青森で原爆を製造していることも羽田から空輸しようとしていることも、米ソは掴んでいた。米ソに自分たちの動きが筒抜けになっていることは最初からわかりきっている話である。
実際、中曽根らの核武装工作を掴んでいた米は、これで決定的な中曽根ら旧陸軍勢力の弱みを握ったことになる。(世界法廷に訴えれば、中曽根らは間違いなく死刑になったはずである)
「今回の戦闘行為には目をつぶるから(生かしておいてやるから)、その代わりに日本の金をよこせ」とでも、中曽根は恫喝されたのだろう。
実際、この事変の1ヵ月後にプラザ合意があり、たちまち日本はバブル化し、それ以降次から次へとアメリカに財産を巻き上げられてゆく羽目になる。

しかし、米に戦争を仕掛ければそんな羽目に陥るのは、やる前から分かり切っている話である。にもかかわらず、なぜ仕掛けたのか?
この問題を解明するヒントは、御巣鷹山事変と同じ構図のもっと大規模な事件にある。
つまり、戦えば必ず手痛い敗北を喫するとわかっているにもかかわらず戦った事件。それは太平洋戦争である。

旧海軍は米と戦えば100%負けるとレポートを出していた。実際、後世から客観的に見てもその通りである。
にもかからわず、旧陸軍は日米開戦に踏み切り、その果てに大量の戦死者を出し、日本全国を焦土化させ、最後には原爆を落とされて悲惨な敗戦を喫した。
当時、米と戦ったらこうなることは日の目を見るより明らかであったわけで、この構図は、御巣鷹山事変と全く同じである。
 
一体、旧陸軍勢力は、太平洋戦争において何を考えていたのか?を解き明かすことがヒントになる。


<他サイトより転載:3>

ミサイル攻撃を受け損傷した日航機が超低空飛行で群馬県の御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソの最先端戦闘機が入り乱れて空中戦が繰り広げられ、最先端のステルス戦闘機をはじめミグ25など5種類の戦闘機が全機撃墜されたという、俄かには信じられない話です。
しかも、驚くべきことに日航機の積荷が原爆材料で、その上ミサイルの一部は核弾頭ミサイルだったので、御巣鷹山の墜落現場に放射能が撒き散らされたということです。

破壊され散乱した戦闘機の残骸物や日航機が運んでいた機密軍事物資など、多くの物的証拠が現場から収集されています。
核兵器に使用されるイエローケーキ、空対空ミサイルの信管に使われている部品、糜爛性毒ガスの原料BF4、当時最先端のステルス機やソ連のミグ25をはじめとする5種類の戦闘機の破片。更には、高度1万m上空を飛ぶ米大統領直属のU2偵察機の破片も発見されています。

当時、日本政府は墜落場所が特定できないという理由で救援を引き伸ばしたのですが、日本中を米軍や自衛隊がレーダーで監視している状況で、場所が特定できないはずがありません
その間に空中戦の証拠となる残骸物を回収しようとしていたらしいのです。
事件当日、自衛隊が怪しげな行動を取っていたことが目撃されていますが、全ての残骸を2日間で回収できるはずがないので、現在に至るも尚、御巣鷹山周辺で物証が発見されるとのことです。


<他サイトより転載:4>

特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。
この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。
 
2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。
岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた

この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。
民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。
これが秘密保全法である。

2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査が前原誠司を中心に行われた。
これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。
稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。
結果、前原誠司は2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。
 
後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは従来の主張を繰り返した
これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。
にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。

2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。
つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。
佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。
とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。

政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。
そして、政権に返り咲いた安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。
 
政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。
このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。
そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。
 
事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。
しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。
これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。
日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。

日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。
この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。

中曽根康弘は存命中である。
彼は、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。

このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。
だが、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。
この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。


 <他サイトより転載:5>

事故調査委員会(略称:事故調)は『圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破損した』と発表。
彼らは、昭和53年の同機の尻もち事故直後、ボーイング社による修理ミスによって亀裂(=金属疲労)が進行したと主張。そして、それが今回のトラブルにつながり、結果、垂直尾翼を破壊したと“推定される”と報告した。
つまり日本政府は『急減圧原因説』と採る。

しかし、日航関係者や同事件の真相究明者からすれば、この説は甚だ矛盾に満ちている。これは全くの作りごとだと思うのだ。
それはまさに、ケネディ大統領暗殺事件に関する『ウォーレン報告書』や、9・11事件についての『9/11委員会報告書』同様、全くのフィクションだと思う。
圧力隔壁の破壊は、同重大事件(=大惨事)の結果であって、決して、その『原因』ではない。この真実を我々は直視すべきだ。

では、123便に何が起こったのか?
高濱機長が叫んだ。「何か爆発したぞ!」と。実際、この時垂直尾翼が大きく破損し、ほぼ5分の3以上を失った。
これを評した著名な航空評論家の関川栄一郎氏が、テレビで述べた。「無人標的機がぶつかったのではないか」と。
関川氏は、当時たいへん信頼され、かつ非常に定評のある航空評論家だった。だが、彼のこの言葉はその後公には報じられなかった
しかし、大惨事の初期報道にこそ、まさに事件の「真実」が潜んでいる。

同事件の真相究明者の中には、この無人標的機を、ファイアービーという人がいる。
だが、他に、国産巡航ミサイルSSM-1の(爆薬を搭載していない)演習用ミサイルが日航機の垂直尾翼を破壊したと主張する人もいる。
しかし、そのどちらにしても、軍事兵器が垂直尾翼を直撃して、それを大部分破損させたことは間違いない
事実、6時18分時点(つまり、かなりの低空状態)で、或る飛行物体が同機を目がけて直進してくるのを、乗客の一人である小川哲氏は、自らのカメラに撮影していた。
つまり、高濱機長や佐々木副操縦士は、衝突が起こる6~7分前にはこの飛行物体を充分認識していたと考えられる。
なぜなら、この時間帯に同機はまるで何かから逃げるかのように、猛烈な急上昇をしていたのである。

では、一体誰がこの飛行物体(=ミサイル兵器)を発射させたのか?
在日米軍による極秘軍事演習中の出来事なのか?
それとも、日本の海上自衛隊に配属されたばかりの護衛艦『まつゆき』から発射(誤射)されたものなのか?
あるいは、その誤射さえ事前にアメリカ軍によって仕組まれていたものなのか?

実は、私にはかつて日航でパイロットをしていた知人がいる。彼の言によれば、日航などの民間航空機が米軍や自衛隊によって仮想の敵機と目され、軍事訓練の目標にされることが度々あったという。
同事件のあった相模湾上は、まさに様々な航空機が飛び交う航空路の銀座とでも呼ぶべき密集地域だ。そんな空域での軍事演習など、まさに人命軽視の蛮行である。腹蔵なく言えば、悪魔の所業だ。
    
この重大事件を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日一体何を考え何を命令したのか?


<他サイトより転載:6>

自衛隊の無人標的機と接触した説について。
自衛隊にはミサイルなどの発射訓練用にラジコン操作する無人標的機があります。これが尾翼に衝突したとする説です。
これを運用できるのは自衛隊の訓練支援艦という専用の艦に限ります。当時は訓練支援艦「あずま」があるだけです。
事故当日、あずまは相模湾ではなく遠く離れた母港の呉(広島県)にいました。無人標的機が飛んでいるはずがないのです。

護衛艦まつゆきが誤射した説について。
無人標的機とあわせて言われるのが護衛艦まつゆきによるミサイルの誤射。「無人標的機と間違えて誤射した」とか「民間機を標的にして訓練中に誤発射した」など書かれています。
まつゆきはJAL123便の事故当日は相模湾にいました。事故の連絡を受けて相模湾内の捜索にも協力しています。
このまつゆきが犯人なのかというとやはりそれはあり得ません。まつゆきが就役したのは1986年3月19日。JAL123便の事故は就役前の1985年8月13日。
この時のまつゆきは『自衛隊に引き渡される前、民間企業の所属』なのです。海上公試中であり自衛隊に引き渡されていないまつゆきが武装していたはずがないのです。
エンジンの性能テストで既定の速力が出るかなどを調べている最中だったのです。非武装の艦がどうやって誤射するというのでしょうか。

自衛隊の戦闘機が誤射した説について。
ミサイルの模擬弾というのは発射できません
キャプティブ弾と言って、推進装置及び弾頭はもたないが、実物と同じ形、同じ重さ、同じ誘導装置を搭載し、訓練で使用される代物。これでやるのはロックオンするところまで

開発中の88式地対艦誘導弾(SSM-1)と衝突した説について。
当時まだ未配備であり、その飛翔高度は10m~20mなので、JAL123便に異常が起きた高度7,200mとはどうあっても合致しません。
まつゆきが搭載したのは米国製のRGM-84ハープーンだからSSM-1を試験するなんてありえない

自衛隊が犯人扱いされる理由について。
「嘘をつく際は真実を一部混ぜると真実味が増す」「隠されたいた事実を暴くと、さらにその裏があると思わない」
情報戦の基本です。
JAL123便は【自衛隊によって】【撃墜された】。短い中に2つの情報が入っています。真実を混ぜられた嘘。
不自然なまでに色々な説で犯人とされる自衛隊。なぜか削除されない真相。
JAL123便は【撃墜された】。本当は【誰に】なんでしょうね。


 <他サイトより転載:7>

「政府のやる事に反対意見を持つ市民を殺害せよ、それが軍隊の仕事である」
「軍隊の仕事は他国との戦争ではなく、自分の国の市民を殺害する事にある」
 
米国アイゼンハワー大統領時代に、こうした戦略を立てたロックフェラー報告を元に、米国では市民殺害用のFEMAと呼ばれる軍隊が作られた。 
この『一般市民に対する暗殺部隊』の創設は、1958年1月、大統領により採択された、国家安全保障局命令第177=「NSAM.177」によって行われ、この命令書には「日本にも同様の部隊を創設させる」と記載されている。

この大統領命令に基づき、日本では米国、自衛隊の合同による日本人市民殺害部隊『パイナップル・ブリゲイズ』が既に創立されている。
このFEMAの事実上の総指揮官が、オバマ大統領のボス=ズビグニュー・ブレジンスキーである。


<他サイトより転載:8>

マレーシア航空370便失踪事件と、日航123便墜落事件は、あまりにも酷似している。
 
管制レーダーから消えた
戦闘機操縦の技能を持つベテラン機長が、その便に特別にあてがわれた
民間旅客機に、核物質と化学兵器物質を積み込んで、密売空輸しようとしていた
関係各国の諜報部と国防当局がマークしていて、敵国関係にある場合でも武器談合する各国の許容限度を超えてしまう武器密売を行う、当該民間旅客機に対して、空軍が発進し軍事衝突がなされた
事件は、別のストーリーで説明され、真相が隠蔽されている

このように酷似して、民間旅客機を使った武器密売空輸は、繰り返される。

核物質と化学兵器物質の密売シンジケートといえば、国境を超えるイスラエル=ウクライナ(ロシア)核兵器マフィア(グローバルユダヤ資本)である。
マレーシア航空370便失踪事件は現在進行形だが、日本航空123便墜落事件は御巣鷹山での結末をみんなが目撃した。
みんなが目撃したのは、ストーリーがついたテレビ新聞雑誌の映像であり、事件の真相は隠蔽されている。

真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。
当日の現場に警察よりも早く到着した地元の人の目撃証言と、事件を現在まで現場検証し続けた真相追究者による報告があるからである。

現場には、今も放射性物質が散乱している
現場に残された日航「123便」のエンジンに不発のミサイルが突き刺さっている
米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残されていた
事件後、真相を追究するものたちには、電磁波兵器による攻撃が設定される


<他サイトより転載:9>

現場に警察よりも早く到着した地元民の目撃証言によると、不審な自衛隊らしき特殊部隊が、どの機関よりも早く御巣鷹山に現れた時、現場では数十人の(うめき)声がしていた
地元民が現場から引き返し始め、しばらくすると数十人の(うめき)声は急にしなくなった

日航「123便」核物質移送撃墜事件には、次の争点がある。

不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊とは何者か。
生存者を整然と殺害する自衛隊に似せた国営テロリストのような者たちは何者か。
事件後、真相を追究するものたちを、電磁波兵器を使用して攻撃する治安部隊のような国営テロリストのような者たちは、何者か。
このような自衛隊に似せた治安部隊のような国営テロリストのような者たちと、核物質移送密売の勢力とは、グルでありチームということになるのか。
いったい誰が計画・統括していたのか。
 
そして、自衛隊に似せた治安部隊のような国営テロリストのような者たちと、核物質移送密売の勢力とに、当時の中曽根政権と軍事官僚はどのように関わったのか。
その後の政権と官僚は現在まで、このような勢力にどう関わっているのか。

そして、日本の奥の院は、この事件とこのような勢力に関わりはないのか。
例えばヤタ烏(八咫烏)は大和朝廷由来の天皇の非公然私兵と言われるが、日本国民を監視し秘かに攻撃し殺害もする、このような国営治安非公然テロリストの仕事はしないのか。

JAL123便墜落事故とは、1985年8月12日18時12分に日航123便が御巣鷹の尾根に激突して炎上し、4名の重傷生存者と520名の死亡者を出した事故である。
事故原因は、1978年のしりもち着陸事故後の、ボーイング社による修理が不適切だったためとされている。
だが、数多くの不審な点や目撃情報、生存者の証言などから、多くの人々が納得できないままであり、真相は深い闇の中だ。

私がこれから書くことを100パーセント信じろとは言わない。
だが、発表された事故内容やテレビなどで感動の美談化された特集を、鵜呑みにせず、疑ってみてほしい。

これだけは言っておきたい。
こうして事故を掘り返すような記事を書くのは、決していたずらな気持ちではない。
以前運営していたサイトでこの事故について書いたところ「犠牲者を静かに眠らせてあげたらどうですか?」というコメントが来たが、私には面白半分で墓場を荒らすかのような気持ちは無い。

あと数日で、あの事故からちょうど30年だ。心より犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。



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<当日の背景>

1985年8月12日、海では相模湾・伊豆沖に『まつゆき(当時の最新鋭護衛艦)』などの艦船・潜水艦が出動、空では茨城県百里基地所属の航空自衛隊戦闘機の他、航空自衛隊や在日米軍の電子戦機が待機、更に上空では米軍の軍事衛星が演習を監視という形で、日米合同軍事演習が行われていました。
また、御巣鷹山はゲリラ訓練場となっていたと言われていますが、それはありえないという意見もあります。


<123便に何が起こったのか>

午後6時12分、JAL123便が羽田空港を離陸。その後、午後6時18分過ぎに、右前方から何かが飛行機に近づいてきました。
この『何か』は、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた乗客がカメラに収めています。

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そして、123便に『何か』が衝突。その際、機長は「まずい、何かわかったぞ。スコーク77入れるぞ」と、副操縦士は「スコーク77。オレンジエア」と言っています。
つまり“オレンジ色の航空機と衝突した”ことを自衛隊機に報告していることが明らかなのです。 
 
衝突した『何か』とは、実証実験中の誘導ミサイル、無人標的機のファイア・ビー。そして、それを追尾していたチャカIIではないかと言われていますが、アメリカ空軍の練習機によるミサイル誤射だとも言われています。
民間機を標的にした訓練はどこの軍隊も当り前のように行っていることで、相模湾(米軍の訓練海域)に進入してきた民間機を米軍機が代理標的に見立てることは不自然ではありません。
好評されていませんが、過去には、米軍機がスペインで民間機を撃墜してしまった事実もあります。

また、1997年7月30日には、全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落しています。
この時、自衛隊機の乗員は脱出に成功、旅客機は空中分解し、162名全員が犠牲となりました。
事故原因は、大型旅客機を仮想敵機にして接近しすぎてしまったこと。
1952年4月9日に日航の『もく星号』が墜落した事故も、原因は同じでした。

なんにせよ、飛行中に123便が突然壊れ、わけがわからないまま御巣鷹の尾根に突っ込んだとされている発表は大嘘です。

衝突音の7秒後、123便はスコーク77の識別コードを送信しました。
スコーク77は緊急事態の宣言であり、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コールで、発信した民間航空機は自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。

その後、自衛隊のF-4EJ戦闘機が2機、F-15J戦闘機が1機、123便を御巣鷹山へ導きました。
横田基地への着陸を阻止された123便は、素晴らしいフライト技術とチームワークで飛行を続け、山麓に胴体着陸態勢に入りました。
ところが、なぜかミサイルが撃ち込まれ、午後6時56分過ぎに墜落してしまいました。ミサイルはエンジンと機体本体に一発ずつ打ち込まれています。

御巣鷹の尾根に裏返しの状態で激突した123便。胴体後部は折れ、スゲノ沢に滑り落ちて行きました。
後に生存者が発見されたのはこの胴体後部からです。

これは墜落の7分前(18時49分頃)に撮影された写真です。

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<撃ち落とされたのは123便だけではない>

123便を撃ち落としたのは、待ち構えていた自衛隊地上部隊のレッドアイだと考えられています。
地上部隊は123便の他、誘導した自衛隊機、123便を追っていた米軍機F-19(F-117)、諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、ロシア軍のスホーイも撃ち落しました。 
ロシア軍のスホーイに関しては、まったくの偶然で巻き込まれたとも言われています。
ツナ缶の工場にロシアから輸入したツナを運び込む際、護衛のために上空から船に追尾することが慣例であり、この日も船の入港日であったとか。
ここらへんは、どこの国の何が何を撃ったのか撃たなかったのか、ごちゃごちゃしすぎていてさっぱりわかりません…

ピカッと雷光のような閃光、黒いキノコ雲が目撃されており、核兵器使用の痕跡もあります。
御巣鷹の尾根にはF-19(F-117)がレントゲンの原理で焼き付いており、自衛隊に落とされた証拠となるF-19の残骸も見つかっています。
墜落前の123便の福田航空機関士も「19だ!」と叫んでいます。

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また、123便墜落事故後に、123便(ボーイング社:B747-SR)ではなく、ロッキード社(F-19)の事故調査員が検証しています。
123便のことより、F-19の消失事故として調査を行う形に、疑問を持たずにはいられません。


<帰還命令と口止め>

123便の墜落は、すぐに横田基地米軍輸送機C-130が察知しました。そして、午後7時30分に墜落現場を特定、その20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせています。
現場の上空には、座間基地所属のヘリUH-1も到着。ロープを降ろして救助を始めようしました。
ところが、陸軍ヘリUH-1と上空で待機していたC-130に、帰還命令が発せられたのです。
「引き返せ。そして口外するな」

その後、なぜか自衛隊は墜落場所の誤報を意図的に繰り返します。
このため、航空自衛隊救難隊によって123便の機体が発見されたのは、翌朝の午前5時10分。
その後、陸上自衛隊偵察ヘリによる機体確認、長野県警ヘリによる墜落現場の確認、各自衛隊や警察のヘリによって次々と墜落現場の状況が確認されました。

午前8時半、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下し、陸上自衛隊第一空挺団の隊員も現場に降下して救難活動を開始しました。
陸路からは、上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着して、やっと本格的な救難活動が開始されました。
到着が遅くなったのは『123便が輸送していた医療用放射性同位体と、一部動翼のマスバランスに使われていた劣化ウランなどによる周辺への放射能汚染の警戒』が理由だと発表されていますが…
 

<全員死亡のシナリオ>

これだけは忘れてはいけません。
縦割り組織警察の常識を無視して『全員死亡による救助打ち切り命令』で動けない群馬県警管轄地域へ越境進入したのは、長野県警レスキュー隊です。
現場で早々と『全員即死宣言』をした自衛隊幹部に「まだ生存者がいるぞ!」と怒鳴って救助活動を促した消防団員や報道関係者の人達。彼らがいなければ、誰一人助かっていなかったことでしょう。

現場にいた消防団員は「最初は医師・看護婦は現地に送り込まれていなかった。生存者が発見されてから急に慌てた。生存者に対する準備ができていなかったような気がする」と話しています。
また、11時に生存者発見、12時に仮設ヘリポートへ移動、ヘリポートで1時間30分以上待たされ、14時15分頃にやっと病院へ搬入という不手際さ。
一刻を争う状態の生存者を現場に2時間近く放置し、病院搬入まで3時間以上も費やしているとは何事でしょうか。
救命どころか、生き延びてもらっては困るかのような対応です。


<横田基地米軍輸送機C-130の元パイロットによる証言>



以下は、C-130に乗っていた男性の証言です。
彼はその日、偶然、沖縄の那覇からC-130で飛んでいました。そして、日本側より14時間も前に墜落現場を発見した事実を公表しています。
 
『あの飛行機事故のことは10年経った今も脳裏に焼き付いて離れない。 
JAL123便が管制塔に緊急を告げた時、たまたま近くを飛んでいた。現場はすぐに発見出来た。墜落の2時間後にはアメリカ海軍の救助ヘリが現場に着いた。あの時、救助にストップがかからなければ、もっとたくさんの人が助かっていたに違いない。
現場を確認後、グリフィン隊長は残骸の上空600メートルでそのまま旋回飛行を続けた。私は横田基地からの位置を測り、20分後には正確な位置を割り出して横田基地に知らせた。 
やがて横田基地から連絡が入り、60キロ離れた厚木基地から海軍の救助隊が来ると知らされた。あと1時間で着くという。

司令部の命令はこうだった。「日本の救助隊が向かっている。すぐ基地に戻るように」
しかし私は次のように伝えた。「海軍は救助に入りたいと言っています」
すると司令部は次のように言った。「繰り返す。すぐ基地に戻るように。海軍も同じだ」
もはや私は「わかりました。帰還します」と答えるしかなかった。降りかけていたヘリの乗員たちは、再びロープを登っていった。その時、我々の900メートル上空に、日本の飛行機が旋回しているのを認めた。 
午後9時20分だった。これが現場に来た最初の日本の飛行機である。

横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団の副司令官、ジョエル・シルズである。グリフィン隊長が報告を終えると、シルズは「よくやった。でもこのことは 一切マスコミに話してはいけない」と言った。理由はまったく説明されなかった。 
しかし、翌日のニュースは、もっと衝撃的だった。日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは墜落の14時間後だと言っているではないか。
私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。伝えた位置は正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。
我々はあの時、現場の上空を飛んでいた日本の救援隊に後を任せた。それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか? 一体、朝まで何をしていたのか?不思議でならなかった。

事故から2週間たって、私はタイムとニューズウィークで、生存者が4人いたことを初めて知った。しかし残りの記事は、間違いだらけだった。
生存者の一人の証言が私をぞっとさせた。彼女は墜落後、数人の子供達の声を聞いたと言っていた。ヘリを見て手を振ったが、気づいてくれなかったと語っていたのだ』

こういった様々な証言さえ、真実かどうかはわかりません。
我々はいったい誰を、何を信じればよいのでしょう。 


<本当に一番早く現場に入ったのは>

一番早く現場に入ったのは長野県レスキュー隊とされていますが、本当は、国家機密を守るための自衛隊特殊部隊です。
13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に、既に100名程度の自衛隊特殊部隊員が来ています。

証言者によると、この頃4~50名の生存者がいました。しかし、特殊部隊は生存者の救出など一切行わず、人命救助よりも『何か』の回収を優先しました。大きな袋、丸いバッグに何かを集め、上空からヘリが袋を回収するという作業のみです。
特殊部隊は回収作業が終わっても人命救助は行わず、現場を去りました。その1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなったそうです。
いったい何を回収していたのか、これは、証拠隠滅のために米軍機やミサイルの破片などを回収していたと考えられます。


<回収作業だけでなく>

特殊部隊は回収作業だけでなく、とても惨いことを行っていました。
彼らは、4~50名いたはずの生存者を、毒ガス(携帯用VXガス兵器)で殺し、火炎放射器で焼いたのです。

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当時、遺体の歯形で本人確認を行った歯科医師はこう述べています。
「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。二度焼きしたような状況だ」
 
彼らは生存者を残さないように、ヘリコプターで薬(おそらくフッ化ホウ素)まで撒く徹底ぶりです。
後に4名の生存者が発見されたのは、まさに奇跡であり、彼らのミスでもあります。

生存者についても疑惑があります。生存者は、落合さん、川上さん、吉崎さん親子の4人と発表されていますが、他にも4人目撃されているのです。8月13日の夕刊ではも『生存者8人』と発表されています。
落合さんらの他に、元気な7歳くらいの男児と女児、中学生くらいの少年、20代の男性がいたはずなのに、どういうわけか、その日以降情報が途絶しました。話題にも上りません。最初からいなかったかのような扱いです。

また、待機命令に反して人命救助を急いだ自衛隊員数名が射殺されています。
生存者を匿ったために、拘束されて送り返された者も多数いました。
精神状態がおかしくなる隊員も多かったそうです。
彼らは「口外すれば家族にも危害が及ぶことになる」とも仄めかされています。

米軍の救助活動を拒否し、多くの生存者を救助しないどころか無残にも殺害し、せっせと証拠隠滅を図った特殊部隊員達。彼らだけを責めてはいけません。もっと深部を見てください。
彼らに惨たらしい命令を下したのは誰か。自衛隊を動かしている存在といえば、政府です。



JAL123便墜落事故(2)へ続く

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