特集したかったので、前回載せなかった場所があります。
それがここ。
昔、何度か行ったことがあるのですが、当時は家々が並ぶ奥にぽっかりと異空間のような荒地があり、そこにいくつもの石仏か何かがあったはず。不気味なほど鬱蒼としていて…
こんな感じで↓(なんて雑な絵!)
記憶を頼りに行ってみたら、あれっ?かなり整備されてる!
でも、普通のお墓しか見えません。私が探している石仏群はいずこへ?
一番奥まで行ったらありました!すごい数です!
昔見た時と違って、かなり整頓されて一か所に集められていました。
昔のほうが味があったけれど、こんなに大切にされていて嬉しいです。
立派な石碑もありました。
文字をここに書き起こしてみます。
大日山浅間院正覚寺 跡墓地整備の碑
この地にあった正覚寺は、「大日山浅間院正覚寺」と称し、当山野村に古くからあった寺である。
明治四十一年に「深掘山 延命院地蔵寺」と合併して「正延寺」と称し、山号も「山野山」と改め現在に至っている。
正覚寺の堂字は江戸時代に焼失してしまい、墓碑百十数基が残っていたが永年整備される事もなく荒れ果て、幽かに「正覚寺」の跡を窺い知るのみであった。
茲に平成七年住職並びに関係者が相計り、正覚寺の歴史を永く留め併せて正覚寺檀徒の祖供養のために、改修整備を発願する、重ねて石井明治氏より隣地を御寄進賜わる。
まさに百年余の時を経て改修整備事業の完成を記念し更には各家先祖菩提の冥福を祈念してこの碑を標す。
平成八年十一月吉祥日 山野山正延寺 第四十世宥祥 敬白
(以下は関係者、世話人、協力者の名前)
並びにあるのは『正覚寺歴代並檀家祖霊供養之碑』です。
この碑から、初代の住職は年代が不詳ですが、二代は正保四年とわかりました。
正保から、延宝、元禄、宝永、享保、元文、宝暦、明和、天明、寛政、文化、天保、安政、大正、明治へと、物凄い歴史を感じます。
これも気になったので、撮っておきました。敷地内にあった焼却炉です。
いやあ、それにしても、昔見たあの場所がこんなに古くから歴史のある場所だったなんて、整備されて石碑が建たなければわからないことでした。
行ってみて良かったです。
それがここ。
昔、何度か行ったことがあるのですが、当時は家々が並ぶ奥にぽっかりと異空間のような荒地があり、そこにいくつもの石仏か何かがあったはず。不気味なほど鬱蒼としていて…
こんな感じで↓(なんて雑な絵!)
記憶を頼りに行ってみたら、あれっ?かなり整備されてる!
でも、普通のお墓しか見えません。私が探している石仏群はいずこへ?
一番奥まで行ったらありました!すごい数です!
昔見た時と違って、かなり整頓されて一か所に集められていました。
昔のほうが味があったけれど、こんなに大切にされていて嬉しいです。
立派な石碑もありました。
文字をここに書き起こしてみます。
大日山浅間院正覚寺 跡墓地整備の碑
この地にあった正覚寺は、「大日山浅間院正覚寺」と称し、当山野村に古くからあった寺である。
明治四十一年に「深掘山 延命院地蔵寺」と合併して「正延寺」と称し、山号も「山野山」と改め現在に至っている。
正覚寺の堂字は江戸時代に焼失してしまい、墓碑百十数基が残っていたが永年整備される事もなく荒れ果て、幽かに「正覚寺」の跡を窺い知るのみであった。
茲に平成七年住職並びに関係者が相計り、正覚寺の歴史を永く留め併せて正覚寺檀徒の祖供養のために、改修整備を発願する、重ねて石井明治氏より隣地を御寄進賜わる。
まさに百年余の時を経て改修整備事業の完成を記念し更には各家先祖菩提の冥福を祈念してこの碑を標す。
平成八年十一月吉祥日 山野山正延寺 第四十世宥祥 敬白
(以下は関係者、世話人、協力者の名前)
並びにあるのは『正覚寺歴代並檀家祖霊供養之碑』です。
この碑から、初代の住職は年代が不詳ですが、二代は正保四年とわかりました。
正保から、延宝、元禄、宝永、享保、元文、宝暦、明和、天明、寛政、文化、天保、安政、大正、明治へと、物凄い歴史を感じます。
これも気になったので、撮っておきました。敷地内にあった焼却炉です。
いやあ、それにしても、昔見たあの場所がこんなに古くから歴史のある場所だったなんて、整備されて石碑が建たなければわからないことでした。
行ってみて良かったです。