昭和16年12月2日午後5時30分に、真珠湾攻撃実行の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した事で知られています。
大正4年に旧海軍の無線基地が完成、昭和16年頃に長短波用の大アンテナ群が完成、そして昭和46年に全て解体されましたが、直径800mの円である独特の地形は今もそのまま残っており、ミステリーサークルとも言われています。
ちなみに、最近行った①防衛省の宿舎、②大六天神社、③八幡神社、④鉄道・運輸機構の宿舎、のすぐそばです。
<以下、引用>
着工は1913年。しかし、翌1914年に第一次世界大戦が起こり、日本がドイツに宣戦布告をしたことから、ジーメンス社の技術者が図面を焼却して帰国してしまった。
そのため、工事は困難を極めたが、1915年4月には開所式が行われ、同年7月にはハワイとの間で通信試験に成功。8月より正式に軍用通信が開始された。
ハワイの無線局と日米間通信が1924年まで行われたが、中でも1923年に起こった関東大震災の際には、銚子無線電信所と共に通信が壊滅状態になった東京都心の被害情報を、横浜港に停泊中の船舶からの打電を受信して新聞社が集まる大阪市など国内外に発信、救援活動に多大な貢献をした。なお、この出来事は船橋の名を広く世界に知らせるきっかけとなった。
戦後は進駐軍が接収し1966年に返還されたが、1971年5月19日から解体が開始された(1972年まで)。
さてさて、まずは行田公園へ。
東側を少しだけ見ました。
マチバシイやケヤキなど様々な樹木があり、サイクリングロードをウォーキングする人や所々にある健康遊具で筋トレする人、芝生で遊ぶ子供達など、じつに平和な光景です。
春には花見をする人も多く訪れます。
カラスの巣があるので見上げるのさえ危険という…
目当ての物は西側にあるので、大きな歩道橋を渡って移動します。
歩道橋の上から西側を見たところ。
西側へ到着!目当ての物がありました。
船橋無線塔記念碑です。
中に入ると、左側に人工池がありました。
入って左側の植え込みに、無線塔があった頃の写真が。
入って真っ直ぐ進むと、花時計があります。
その向こうにある芝生で、近くの小学校のサッカー部員が練習中でした。
公園内の日本庭園に行ってみます。
コナラを発見。
もちろんドングリを拾いました。
猫!
ここが日本庭園です。鴨が何羽も泳いでいました。
もう少しじっくり見たかったのですが、日が暮れる前にまだまだ撮りたい場所があるので公園を出ます。
海軍無線電信所跡地とその周辺・2(海軍の痕跡を探そう!)へ続く