昔、病院で亡くなった祖父が自宅に運ばれてきた際、私と弟は祖父の遺体をまじまじと観察してこう言いました。
「おじいちゃんの鼻の穴にティッシュが入ってるよ」
母がすぐに「あれはティッシュじゃなくて綿だよ。中身が出ないように詰めてあるんだよ」と教えてくれましたが、おじいちゃんの中身ってなんだろう?脳みそ?血?魂?と、頭の中がハテナマークだらけになったものです。
人が病院等で亡くなった場合は、病院でスタッフによって清拭(死後のケア)が施されます。
スタッフは、遺体から医療器具を外し、アルコール等で丁寧に遺体を拭き清め、消毒し、開口部に綿を詰め、新しい着物へ着替えさせ、髪を整え、爪切りや髭剃り、化粧もします。長く入院していた場合は、皮膚が薄くなったりして傷ついていたりするので、それも手当てします。
遺体の状態などによっては、葬祭業者がケアをすることもあるそうです。
【遺体に綿を詰めることには、大きく分けて3つの意義がある】
◆第1の意義には、民族的思想があげられる。
旧来より遺体は仏として崇める対象である反面、恐怖の対象でもあった。そのため、遺体から悪霊を出さないように、また遺体に悪霊が憑かないように、口や鼻を綿で塞ぎたいとの思いがあったのではないかと考えられる。
◆第2の意義は、死後変化による遺体からの漏液や脱糞対策である。
これらの体内物が体外に出るのを防ぐ目的で、各部位に綿を詰めるのである。
◆第3の意義は、看護職や葬祭業による死後処置を遺族に確認させるためである。
誰が見てもわかるように口や鼻に綿を詰め、遺族に対し、遺体処置を行ったことを目視させ、安堵感を与えるための綿詰めであるように思える。
【死後変化対策としての綿詰めについて】
生前より口や鼻、耳からの出血や漏液、肛門部からの脱糞がある遺体がある。
しかし、これらの遺体は非常に稀であり、遺体からの漏液や脱糞は、遺体の死後変化により発生する場合がほとんどだ。
言い換えれば、死亡直後に状態の悪い遺体を除き、遺体の死後変化を抑制できれば、遺体からの漏液や脱糞はほとんど発生しないといえる。
特に昭和50年代以降は、遺体に対して冷却処置が行われるようになり、遺体の管理方法が大きく変化した。
昭和40年代までは、遺体専用冷蔵庫やドライアイスがほとんど見られず、遺体の防腐対策が行われていなかった。
そのため、真冬に死亡した場合は遺体の変化が少なく、遺体からの漏液や脱糞、悪臭の発生は見られないことが普通であったが、真夏に死亡した場合は、死亡翌日には遺体は大きく変化を始め、口や鼻からの漏液に加え脱糞や強い悪臭を放つ状態になった。
(線香は、遺体からの悪臭をマスキング効果でごまかすことができ、通夜の間一晩中点けておくと遺体の腐敗臭気対策としての効果もある)
昭和50年代以降は、ドライアイスや蓄冷剤の普及、遺体専用冷蔵庫を所持する病院や葬儀社が増加し、遺体の95%以上は冷却処置が行われるようになり、真夏でも遺体の腐敗が最小限に留められるようになった。
だが、その反面、現在と昭和40年代の遺体を比較すると、現在の遺体の方が腐敗因子を多く含んでいる。
医療技術の発展に伴い、死亡時に肺炎や敗血症、熱発を伴う遺体が増加し、以前より状態が悪化する可能性の多い遺体が増加しているからだ。
しかしながら、死亡退院後の遺体管理技術が大きく向上しており、昭和50年代以前のように、遺体に対する綿詰めの必要性は減少している。
遺体条件の悪化は見られるが、遺体管理技術の向上や、自宅葬から斎場葬への移行に伴う遺体悪化の鈍化が、遺体からの漏液、脱糞、悪臭対策としての綿詰めの意義を希薄にしているのだ。