病院の帰り、まだ日が暮れるまで時間があったので、探検を始めました。
まずは14号沿いの勝間田公園へ。
公園内の石碑を見てみます。
こちらは歌人、大橋松平(船橋で亡くなった)の碑文。
『しげやまの尾根をはひゆく雲みれば晴れたるかたに移りつゝあり』
こちらは月刊俳誌『新葉(のちに鴫と改名)』の創刊者、田中午次郎の句碑。
『秋刀魚焼く 羅漢のごとき 吾が貌見よ』
公園内には子供達がちらほら遊んでいましたが、遊具で遊ぶよりも、ゲーム機を持ち寄って一ヶ所に固まっている子が多かったなあ。
まずは14号沿いの勝間田公園へ。
先日、ゲエロの池にかつては美しい湧水があったと知り、感動したわけですが、ここもそういった場所なのです。
湧水が多かった頃、ここは『本郷溜』と呼ばれ、農業用の溜池として使われており、江戸時代後半に『勝間田の池』と呼ばれるようになったそうです。
広い公園の奥に、すっかり枯れた池があるのですが、それは池跡の一部。私が子供の頃は、まだ少し水があってタニシのような貝がたくさんへばりついていた記憶があります。
湧水が多かった頃、ここは『本郷溜』と呼ばれ、農業用の溜池として使われており、江戸時代後半に『勝間田の池』と呼ばれるようになったそうです。
広い公園の奥に、すっかり枯れた池があるのですが、それは池跡の一部。私が子供の頃は、まだ少し水があってタニシのような貝がたくさんへばりついていた記憶があります。
また、昭和30年頃、池の浚渫の際には、壷(5世紀前葉の五領式土器)が二個発見されたそうです。
祭祀用に置かれたものと憶測されています。
公園内の石碑を見てみます。
こちらは歌人、大橋松平(船橋で亡くなった)の碑文。
『しげやまの尾根をはひゆく雲みれば晴れたるかたに移りつゝあり』
こちらは月刊俳誌『新葉(のちに鴫と改名)』の創刊者、田中午次郎の句碑。
『秋刀魚焼く 羅漢のごとき 吾が貌見よ』
公園内には子供達がちらほら遊んでいましたが、遊具で遊ぶよりも、ゲーム機を持ち寄って一ヶ所に固まっている子が多かったなあ。