⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

タグ:池

病院の帰り、まだ日が暮れるまで時間があったので、探検を始めました。
まずは14号沿いの勝間田公園へ。

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先日、ゲエロの池にかつては美しい湧水があったと知り、感動したわけですが、ここもそういった場所なのです。
湧水が多かった頃、ここは『本郷溜』と呼ばれ、農業用の溜池として使われており、江戸時代後半に『勝間田の池』と呼ばれるようになったそうです。
広い公園の奥に、すっかり枯れた池があるのですが、それは池跡の一部。私が子供の頃は、まだ少し水があってタニシのような貝がたくさんへばりついていた記憶があります。

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また、昭和30年頃、池の浚渫の際には、壷(5世紀前葉の五領式土器)が二個発見されたそうです。
祭祀用に置かれたものと憶測されています。

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公園内の石碑を見てみます。

こちらは歌人、大橋松平(船橋で亡くなった)の碑文。
 『しげやまの尾根をはひゆく雲みれば晴れたるかたに移りつゝあり』

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こちらは月刊俳誌『新葉(のちに鴫と改名)』の創刊者、田中午次郎の句碑。
『秋刀魚焼く 羅漢のごとき 吾が貌見よ』

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公園内には子供達がちらほら遊んでいましたが、遊具で遊ぶよりも、ゲーム機を持ち寄って一ヶ所に固まっている子が多かったなあ。

以前行った大六天神社の近くに、マンションに囲まれた小さな公園があり、立て看板が気になったので行ってみました。

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発掘調査で出土した物について書かれてありました。
読んでみます。

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瑞花双鳳五花鏡・梅花文鏡筥(残欠)

平成12年に印内台遺跡群(27)の発掘調査で見つかった土坑墓から、「瑞花双鳳五花鏡」が「梅花文鏡筥」に収められた形で、出土しました。
今からおよそ900年前の、平安時代の終わり頃に作られたものです。
この印内台遺跡群は、船橋市を代表する古代から中世にかけての遺跡で、船橋市南西部の大地上(印内1・2丁目、西船2~4丁目)に広がっています。
「五花鏡」は梅の花を模したものといわれ、わが国独特の鏡の形態です。
上下に「瑞花」、左右に二羽の「鳳凰」の文様を配しているため、「瑞花双鳳五花鏡」と呼びます。
現存する五花鏡の数は少なく貴重なものですが、発掘調査で出土したものはさらに少なく、とても珍しい例です。
「梅花文鏡筥」は木製漆塗りの筥で、蓋表に「梅花」が描かれています。
その漆塗り工程や文様の技法の特徴には、古代の高級品から中世の普及品への過渡期的な特徴が認められ、漆工史上においても、大変重要なものといえます。
五花鏡と筥が一緒に出土した例は全国でも稀有で、船橋市の歴史を知るだけにとどまらず、考古学的にも工芸史においても、非常に貴重な資料です。
また復元模造品は分析・調査・研究によって、当時の姿を再現したものです。

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何か他にも面白い場所は無いかと自転車で走り回っていたら、駐車場の隙間で不思議な空間を発見!

げえろ

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こんな所に池があるとは!

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ほとんど文字が読みにくくなっていますが、案内板によると、ここは『ゲエロの池』という場所で、かつての湧水地なんですって!
ちなみに、ゲエロとはウシガエルのこと。

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昔は『ゲエロ溜』と呼ばれて、ウシガエルだけでなくホタルが生息していたそうです。
農家の方々が収穫した野菜をここの湧水で洗ったりと、この池は大切な生活の一部だったんだとか。
 
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ところが、都市化が進んで住宅地になると、ゴミを捨てるバカが増えてヘドロが溜まってしまったそうです。
町民が話し合った結果、整備されて今に至るとのこと。

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鯉が何匹かいましたが、水が濁っていてよく見えず…

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美しい湧き水、飲んでみたかったなあ…

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