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言いたい放題な生息記録

タグ:石碑

宝冠釈迦如来を御本尊とする宝成寺は、江戸時代初期に同地域を治めていた栗原藩・成瀬氏の菩提寺として創建された、曹洞宗派の寺院だそうです。

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成瀬正成の次男之成、之成に殉死した3人の家臣、夭折した之虎、第7代犬山城主成瀬正寿などがあり、市内唯一の大名家の墓所とのこと。

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苔生した石段を上っていくと…

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大きな岩がいくつも転がる中、鐘つき台がありました。

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今回は写真中心でお送りいたします。

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軍人さんのお墓がありました!

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また軍人さんのお墓がありました!

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ここからの写真は、成瀬家墓所。

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道を歩く、ただそれだけで発見できる、道端の石碑やお地蔵様など。
今回はそんな、日常に溶け込んだ歴史深きスポットを…って、雨!雨降ってきちゃったよ!なんだか最近、探検するたびに雨が降るような気が。


京成西船駅の踏切を渡って印内方面に歩くと、すぐにお地蔵様があります。
案内板には『成瀬地蔵、又は、木戸内地蔵』と書いてあり、建立はなんと貞享4年(1687年)です。
確か昔は、この隣辺りにプラモデルなどを売っているオモチャ屋さんみたいなお店がありました。

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そうそう、『成瀬地蔵、又は、木戸内地蔵』というのは…
①吊天井事件に連座して切腹したこの一帯の領主、成瀬之成の怨念供養のために建てられたという説と、②五歳で夭折した之虎(之成の子供)の供養と合わせて、名主・田中徳左衛門・忠左衛門と女性だけの念佛講衆によって、地元の子供達の為に寄進されたという説の二説があるそうです。

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お地蔵様の前にあるのは、寛延二年(1749年)の如意輪観世音・十九夜塔です。
『講中為二世安楽』とも刻まれています。

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その道を更に進み、ゆるやかな坂を上って行くと、マンションの前に庚申文字塔があります。
正面には青面金剛王の文字、側面には文化2年と刻まれています。
下部に彫られているのは三猿です。見ざる聞かざる言わざる。

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更に進むと、馬頭観音碑があります。
少し読みにくいですが、嘉永六(丑)年二月でしょうか。

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印内一丁目公園の横で祠を発見。
もはや中の石塔は全く字が読み取れないので、見ても何だかわからない状態ですが、葛飾大明神の祠です。
天保10年(1839)年に印内村の藤田新左衛門が建て、その子孫が公園の北から南に移したものなんだとか。
ここも葛羅の井と同じく、旧葛飾大明神の跡地と言われています。

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すぐ近くにこんなデンジャラスゾーンを発見。
通学路にしては珍しいのでは?

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こちらは、湯ートピア(ユートピア)というスーパー銭湯です。
2013年12月23日に閉店していますが、建物は今も当時のまま。
オープン当時は、駐車場から女湯が覗けると噂になり、結構盛り上がっていたのになあ。

ユートピア


湯ートピアの前には、文化6年(1809年)に葛井山万善寺が建てた、准四国八十八ヶ所霊場の標識塔があります。
この石碑から、昔はここに葛飾大明神の別当寺(神宮寺)である万善寺があったことがわかります。
また、葛井山という山号から、万善寺が葛飾大明神の葛羅の井と関係していたことがわかります。

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毛がもしゃっとした猫を発見。
猫が好きだからいつも撮っているというよりは、猫、鳩、カラス、虫ぐらいしか遭遇しないからだったりして。もちろんみんな好きですがね。

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うーむ。このごちゃごちゃ感は見ていて楽しい。

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皇帝ダリアがとても綺麗でした。

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葛羅の井戸より先に進み、妙見神社へ。
日が暮れてきたので、今日の探検はここを見ておしまいにします。

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寺内妙見神社
御祭神:天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
 
神社の前面を北から南へ帯状に伸びる地域は、最近までは水田地帯、往古には海からの入江で白砂青松、景勝の処で台地の上では、古代から人々が生活していたと推察される。
この地は昔から「寺内」と称し、西に「本郷」、東に「印内」と間近に各々独立した村落が形成されたのは、すでに鎌倉時代に溯ると思われる。印内は「院内」で寺院内の意であり、それぞれに別の寺領域の中心であった。
御祭神は古事記神代巻の初めに載る、天地創造、萬物造化の祖神である。
また北辰星宿を司る御神威により、妙見大神と奉称し、安産子育て、方除け、学業増進、生業繁栄の御神徳を有せられる。
古来下総国の豪族”千葉氏”の尊崇した神で、其の勢力が台頭した中世期に、此の里の鎮守として篤信の士により奉斎されたと考えられる。
近年枯死した境内老松の年輪が五百年余を示し、その経緯を裏付けている。
この附近、二子、本郷、西海神等にも元から妙見社の小祠はあったが、(船橋市史・前篇)特に「妙見」を神社名として奉祀するのは当神社のみであり、そこに深い由緒の係わりが偲ばれるのである。
 
御本殿 一間社流れ造り 江戸時代末期の造営
昭和四十七年、奉賛会の総意により拝殿の再建をはじめ社務所の新築、手水舎、狛犬、灯籠、鳥居、石段、参道等を竣工し旧状を一新した。
 
例祭 十月九日 新嘗祭 十一月下旬に執り行われる
今上陛下御在六十年の佳年を期して茲に当神社の御由緒の一端を記す。
昭和六十一年十一月吉日 宮司 千葉博 妙見神社奉賛会

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手前の鳥居は昭和47年10月に建てられたもの。

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奥の鳥居は明治36年10月に建てられたものです。

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この階段を上る余力が残っていて良かった。(今日はほとんど自転車移動だったので)

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伊勢神宮参拝記念碑。

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急な階段で心臓が破れそうになりながらも、到着です。

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階段を上がってすぐ右側に、昭和52年1月建之の『御神木跡碑』がありました。
直径約六尺、年輪六〇〇年を数える巨松を御神体としていたそうですが、枯死してしまったとのこと。

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昭和47年10月建之の狛犬は、少しアニメ風で、狛犬というよりもシーサーのような愛嬌があります。まあ、狛犬もシーサーも同じ獅子なのですが、なんとなくね。

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手水は萬延元年正月に奉納されたもの。
こうしてちゃんと年月日の記載があると、当時の人々をここに思い浮かべることができるので楽しいです。

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紀念碑は読みにくかったので、またいつかじっくり。

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こちらは、年月日が読みにくいのですが、大正8年10月2日でしょうか?

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こういう場所にゴミを捨てる人に、それなりのバチがちゃんと当たっていますように。

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こちらにもゴミが浮いていました。

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灯篭は、最初の鳥居や狛犬と同じく、昭和47年10月建之。

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木の色が渋くて素敵な、一間社流れ造りの本殿です。
先程の掲示板に、江戸時代末期の造営とありましたね。 

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先程見た御神木跡碑、そこに立っていたであろう巨松が、拝殿の中にありました。
できればもう少しちゃんとした場所、奥の神殿に置いてほしいような…

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本殿から隠れるかのように、境内奥でひっそりと佇む石塔群を発見しました。

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この一匹の狛犬が、なんとも良い表情をしているのです。
どこからどうやってここに置かれたのか、パートナーはどこへ行ってしまったのか、様々な思いが巡ります。

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安政5年4月建之と見られる疱瘡神がありました。
他は劣化が激しいため、不明です。

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こちらの石祠は扉が崩壊していますが、側面の『明治27年1月31日』という文字は無事でした。

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後ろからも撮りました。
また訪れてじっくり観察したいです。

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14号から住宅地へ少し入った辺りに、気になる一画がありました。
ブロック塀で囲まれた中に、石塔や石祠が。

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入ってすぐ左に、『無線電信所道』と彫られた大きめの道標がありました。
おお~これは私が先日行った、行田の海軍無線電信所(跡地)への道標じゃないですか!

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写真がわかりにくくてすみません。
右側面には『従是北八百餘間至無線電信所』『大正六年行啓ヲ奉迎ニ付國縣郡費補助ヲ受耕地會沿道民ノ寄附並村費等金四千餘円ヲ以テ葛飾村ニ於テ大改修工事ヲ施行セル記念ニ建之』とありました。
大正6年、皇太子殿下(のちの昭和天皇)ご訪問の際に、道路の改修記念として建てられたということです。

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帰ってから調べたら、この道標は当時ここより100mほど南側の国道14号線から印内・寺内へ行く分岐点の角に建てられていたそうです。
ちなみに、左側面には『東 船橋方面ニ至ル』『西 市川方面二至ル』と彫られていました。


入って右側には手水がありました。
抹茶のような色の水に、可愛らしい花が浮かぶ。ただそれだけで絵になるなあ。

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石祠は昭和51年9月に再建されたもの。何が祀られているのかは不明です。

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庚申塔は寛政12年11月に建てられたもの(中台と芝台は平成14年10月に改修)で、『是より かまがやみち』と記されていました。
こちらも元は別の場所にあったはずです。

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敷石は平成14年11月に奉納されたもの。

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こちらは何も記載が無く、どういった物なのかわかりませんでした。
詳しい人がいたら教えてくださるとありがたいです。

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こちらも、崩壊が激しめなのでわからず。
裏の記載で明治27年2月に建てられたことはわかったのですが…

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病院の帰り、まだ日が暮れるまで時間があったので、探検を始めました。
まずは14号沿いの勝間田公園へ。

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先日、ゲエロの池にかつては美しい湧水があったと知り、感動したわけですが、ここもそういった場所なのです。
湧水が多かった頃、ここは『本郷溜』と呼ばれ、農業用の溜池として使われており、江戸時代後半に『勝間田の池』と呼ばれるようになったそうです。
広い公園の奥に、すっかり枯れた池があるのですが、それは池跡の一部。私が子供の頃は、まだ少し水があってタニシのような貝がたくさんへばりついていた記憶があります。

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また、昭和30年頃、池の浚渫の際には、壷(5世紀前葉の五領式土器)が二個発見されたそうです。
祭祀用に置かれたものと憶測されています。

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公園内の石碑を見てみます。

こちらは歌人、大橋松平(船橋で亡くなった)の碑文。
 『しげやまの尾根をはひゆく雲みれば晴れたるかたに移りつゝあり』

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こちらは月刊俳誌『新葉(のちに鴫と改名)』の創刊者、田中午次郎の句碑。
『秋刀魚焼く 羅漢のごとき 吾が貌見よ』

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公園内には子供達がちらほら遊んでいましたが、遊具で遊ぶよりも、ゲーム機を持ち寄って一ヶ所に固まっている子が多かったなあ。

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