かつて船橋には遊郭が数多くあり、昭和3年にはそれらを集めた一画が船橋新地と呼ばれ、戦後も赤線として栄えました。
残念ながら、唯一残っていた妓楼跡は2009年の2月16日の火災で全焼。また、5軒ほどあったストリップ劇場のうち、唯一残って営業を続けていた若松劇場も、2013年8月末に閉館してしまいましたが…

また、船橋と言えば漁業や農業が盛んであり、一時期は食料物資の豊富な闇市として、『日本の上海』と呼ばれるほどでした。 
今でも、市場は活気があります。船橋漁港は、ホンビノスや海苔、カレイやスズキなどが獲れることで有名です。


時代は移り変われども、よーく目を凝らして探検すれば、まだまだ昔懐かしい場所やその痕跡が残っています。
廃墟、懐かしい物、珍しい物、気になるものなど、船橋で撮りためた写真を、これからちょこまか載せていきたいと思います。


まずは、9月23日に閉店してしまったゲームセンター、『フジ』です。
今月の11日に通りかかったら、解体中でした。

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フジが無くなってしまったのは、結構ショックです。
昔ながらのゲーセンは、どんどん無くなってしまいますね。

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次は、もう何十年も前に閉店したであろうビリヤード場。
そのままになっているドアには『撞球』の文字。すごい古さを表しています。

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こちらも昔は数々の旅人が訪れたであろう場所。『齋藤旅館』です。
その一部では、駅ビルが改装中のため移転してきた、靴の修理や時計の電池交換を行う店が営業中です。

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齋藤旅館の表札はそのまま残されています。

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細道をうろうろしていたら、廃墟を発見しました。

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木戸がゴルフで補強されていました。

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玄関横から、昔の暮らしを犇々と感じました。
ボットン便所の便槽から、臭突が伸びています。
右側のは洗い場。家に入る前、ここで泥を落としていたのでしょう。

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鬼蜘蛛がいました。わかるかな?

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廃墟の近くで、森永牛乳の木製箱を発見しました。
すっかり色あせていますが、元々は鮮やかな黄色だったはず。
ウルトラプロセス(超高温殺菌法)が採用されたのは昭和32年なので、その頃の物だと思います。
側面には共和乳業の文字と、古き住所、電話番号が。共和乳業、今はありません。

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お次は、『柴田マッサージ』です。
たまにネット上で「あれは何?」と話題になっています。

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いつ閉店してしまったのかは不明ですが、看板に『乳もみ』とあることから、営業は結構昔だとわかります。
昔は、母乳の出にくい女性のために、こうしたマッサージ店があったのです。

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こちらは1926年(大正15年)に開店して以来、たくさんの人に愛された『ときわ湯』です。
漁師町として栄え、風呂のある家など稀だった時代、そんな時代が過ぎてからも営業を続け、いつの間にか船橋市内最古の銭湯に。
しかし、2011年9月29日に閉店してしまいました。

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店の前には明治牛乳のベンチが。わりと状態が良いです。

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こちらも古い建物です。扉の向こうが気になります。

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今回の散歩はこのくらいにして、駅に戻ります。

締め括りに、道で見つけた警察緊急通報BOXです。誰かに蹴りまくられたのか、ボッコボコです。
誰がこういう酷い事するんだろう。こういう事をするような人がいるから、設置されたんだろうなあ。

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