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言いたい放題な生息記録

タグ:馬頭観音

先程の馬頭観音群から少し歩いたところで、墓地を発見しました。
一見ただの墓地ですが、手前に…

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ボロボロで文字が読めませんでしたが、境界石です。

そしてその少し手前横には…???読めません。

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隣は大正時代の馬頭観音でした!

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この二基の後ろにも何かが二基ありました。

まずはこちら、両側には、月山、羽黒山の文字がくっきりと。ということは、中心は湯殿山の、出羽三山です。

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側面には、文化七寅牛天十月の文字が。

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こちらは。。。。。後で調べます。

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側面は十一月吉日だけ読めました。

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反対側の文字は、安永六…たぶん丁酉年、二月二日か三日でしょう。

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近くにモグラの穴が!

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このキノコ付き切り株も、朽ちた感じが凄いです。

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綺麗に整備されたごく普通の墓地の横には、まだ昔のままになっているお墓もいくつかありました。

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中山競馬場の正門前広場、パドック側に、馬頭観音碑があります。
競走馬と中山競馬場の安全を祈願する石碑です。

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この碑は有名で、いつもたくさんの人々が訪れ、競馬を楽しみながらも手を併せています。
お花やお線香、様々なお供え物など、途切れることがありません。


しかし、競馬場の外にある馬頭観音群の存在を知る人は、とても少ないです。
場所はここ。競馬場の裏、住宅街の一画にあります。

中山2


拡大しました。ちょっとわかりにくいですが、不思議な作りです。
競馬場からここだけくり抜き、壁で遮断したような…

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さっそく行ってみました。

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ここにある19基の馬頭観音は、江戸~昭和に作られ、この辺りに散在していたものを集めたものとされています。

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確かに、戦前に建てられたものは、この辺りが農村だった頃に収穫物を運搬するなど、農業へ貢献した馬たちのために建てられたものです。
当時、この辺りは馬持ちの農家が多く、馬たちはとても大切に育てられたといいます。

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しかし、戦後に建てられたものは、戦争で犠牲になった馬たちのためでしょう。
以前(西船探検14で)戦争時代にたくさんの馬が血清製造の犠牲になったことについて少し触れましたが、まさにそんな馬たちの供養のためです。

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中山競馬の場の起源は、明治39年に千葉県東葛飾郡明村大字岩瀬(現在の松戸市大字岩瀬)に開設された松戸競馬場です。
大正8年8月10日、松戸競馬場は陸軍省に買収され、陸軍工兵学校の開校に伴い大正9年に移転。中山競馬倶楽部と改正し、行徳海岸にて競馬場の整備が始められました。
ところが、完成間近だった競馬場は大正12年に関東大震災の大津波で、壊滅的な打撃を受けてしまいます。
競馬場は昭和2年に東葛飾郡葛飾村大字古作(現:船橋市古作)に移され、現在の場所へ定着しました。

昭和17年、競馬開催中にドーリットル隊による空襲(空母ホーネットから飛び立ったB-25によるアメリカ海軍からの初の日本本土爆撃)が行われます。
競馬開催の一時停止が閣議で決められ、昭和19年3月に閉鎖。陸軍に接収され、敷地に陸軍軍医学校中山出張所、立川航空隊(軍需品集積所)、東部第5部隊駐留地が建てられる他、軍管轄の自耕農場などとして活用されました。

陸軍軍医学校中山出張所では、御役御免となった競走馬などに破傷や壊疽の菌を注射して抗体を作り、その血を抜いて血清を作っていました。負傷した兵士の手術で使うためです。
兵士が重傷の場合は、手足を切断せざるをえません。その際、破傷風やガス壊疽にならないように、血清が作られたのです。

馬の採血や死体処理は衛生兵が行っていましたが、人手が足らず、船橋中学校(現在は県立船橋高校)や、市川中学(現在は市川学園高校)の生徒が駆り出されました。

その後、米軍から返還され、中山競馬場として再開したのは昭和22年のことでした。

また、発掘調査で古代~中世の馬骨や馬具が見つかったのもこの辺りだそうです。


それでは、一基ずつ左手前からじっくり見ていきます。

一番手前の石塔は『馬頭観幸音光力』『大久保清造』と読めます。

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こちらの馬頭観音は文字が読み取れません。

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次の二基も同じく年代不明。

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こちらは劣化が少なく、明治十三年三月十五日とハッキリわかります。

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横には、石井喜右エ門とあります。

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こちらは明治十四巳年十二月十九日。

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横には施主忠右エ門とあります。

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こちらには、『明治四十三年四月十八日死』の文字が。

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こちらは石がボロボロでわかりません。

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中央の大きな三基は部分的に修復されています。
これは左の馬頭観音。『る』のような文字は『馬』です。

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昭和九年十二月…ああっ!珍しく馬の名前も彫ってあります!
若千代という名前の馬、どんな馬だったのでしょう。

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中央の大きな三基、真ん中。

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明治三十八年三月十五日とあります。

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中央の大きな三基、右。

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昭和四十九年二月とあります。野平省三家内一同建之。
野平省三さんは、戦前は騎手、戦後は調教師として活躍なさった方です。
調べたら『それぞれ騎手・調教師の野平富久は長男、野平祐二(騎手顕彰者)は次男、騎手の野平幸雄は三男である』とのことでした。

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右側に並ぶ馬頭観音を奥から見ていきます。 
昭和六年十月建之。

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こちらは大正十五年七月と読めますが、左下に『青馬碑』の文字が!
青、つまり、毛色の黒い馬だったということがわかります。

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こちらは明治四十四年八月。

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こちらは明治十六年十二月廿七(二十七)日。

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慶應四辰年六月。

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嘉永五子年八月十九日。

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万延元年四月四日。デザインを見る限りは馬というより牛のためのようです。

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こちらは大正七年二月。この中で最も小さな馬頭観音です。

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以上です。

全てに手を併せ、探検を続けます。

今日はこの二カ所を見てきました。

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まずは矢印1の場所へ。
木が一本だけ立っているので、すぐにわかりました。

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木の下には、馬頭観音が並んでいました。

馬頭観音《(梵)Hayagrīva》(ガヤキリバ)は、六観音・七観音の一つ。観音菩薩の変化身です。
魔を馬のような勢いで打ち伏せ、慈悲の最も強いことを表します。

江戸時代には、馬の供養と結び付いて信仰されるようになりました。
仏教本来の『観世音菩薩』ではなく、馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれたのです。

農家では農耕馬の、馬の産地では生まれ育つ仔馬たちの、そして馬稼ぎの人々にあっては馬と歩む道中の安全を祈ったり、道中で倒れた馬たちの供養として、様々な理由で馬頭観音は作られました。
また、戦争時代には馬の血を抜き、負傷した兵士用の血清を作ったりと、たくさんの馬が犠牲になりました。そんな馬達を供養するために作られた馬頭観音もあります。

ここの馬頭観音は戦前のものなので、おそらく農耕馬のために作られたものでしょう。

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左はかろうじて『馬頭観音』の文字がわかりますが、何年に作られたものなのかはわかりません。

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真ん中は、しっかり文字がわかります。明治十一年、寅十二月四日。

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右は最も古いようです。文字がほとんどわかりません。

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近くには粘菌だらけの切り株が転がっていました。

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横の畑に何か背の高い植物が生えていたので近付いてみると…

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立派なオクラでした。

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オクラの花も咲いていました。

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今度は矢印2の場所へ。
駐車場の奥に、ひっそりと佇む祠があります。

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何年に作られたものかは不明ですが、お稲荷さんです。

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近くには女郎蜘蛛が。探検のたびに見かけます。

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祠の横では、白い芙蓉(フヨウ)の花が咲いていました。大きな蕾が特徴的です。

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祠の向かいにある南天も見事です。

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