ついに、船橋で最も気になっていた場所へ向かいます!
南本町44番地。放棄された塩田跡地に、強制疎開によって現東京都江東区辺りから移住してきた方々が集落を作った場所。戦後も都内からの引揚者が住み、都疎浜と呼ばれた場所です。
現在も不法に放置されたままのバラック群(いくつかは崩壊し撤去された)は、水路沿いに続いています。
その前に、まずはこちらをご覧ください。
真新しく都会チックなタワーマンションがドーン!

この辺りではこういったピカピカのマンション等が目立ちます。
ボロボロのバラック小屋なんて絶対に無さそうな雰囲気。

しかし、すぐ横の水路沿いに、それらはあるはずなのです。
さっそく千葉街道から外れ、水路に沿って歩いてみます。

これまたピカピカの一軒家が立ち並び、「うーん、もう全部撤去されちゃったのかな?」なんて思いながら歩いていたら、ありました!
ほとんど植物に飲み込まれていますが、一軒目発見です。

今月末までに撤去しないと廃棄物として処理しますよ的な看板が。
無くなる前に来て良かったです。


裏側はこうなっていました。

すぐに二軒目も発見。

本当に、『あっち側』とのコントラストが凄い。未来と過去のような。

横から見たら、もはや壁がありませんでした。


立入禁止の看板。以前はここにも小屋があったのでしょう。

川には鴨が泳いでいました。

またまた発見です。



少し開けっ放しの窓から、『けいさつ用語・人を見たら泥棒と思え!』『火の用心』という手書きの貼り紙が。


横には放置自転車がありました。建物の崩れ具合もよくわかります。

錆びた看板と謎のドラム缶。

次々と廃屋が現れます。



えっ?何これ。なぜシャッターが三角に切り抜かれているのでしょうか?

うわっ!横から見たら、火事の跡が!

そして、女郎蜘蛛がいました。

南本町44番地。放棄された塩田跡地に、強制疎開によって現東京都江東区辺りから移住してきた方々が集落を作った場所。戦後も都内からの引揚者が住み、都疎浜と呼ばれた場所です。
現在も不法に放置されたままのバラック群(いくつかは崩壊し撤去された)は、水路沿いに続いています。
その前に、まずはこちらをご覧ください。
真新しく都会チックなタワーマンションがドーン!

この辺りではこういったピカピカのマンション等が目立ちます。
ボロボロのバラック小屋なんて絶対に無さそうな雰囲気。

しかし、すぐ横の水路沿いに、それらはあるはずなのです。
さっそく千葉街道から外れ、水路に沿って歩いてみます。

これまたピカピカの一軒家が立ち並び、「うーん、もう全部撤去されちゃったのかな?」なんて思いながら歩いていたら、ありました!
ほとんど植物に飲み込まれていますが、一軒目発見です。

今月末までに撤去しないと廃棄物として処理しますよ的な看板が。
無くなる前に来て良かったです。


裏側はこうなっていました。

すぐに二軒目も発見。

本当に、『あっち側』とのコントラストが凄い。未来と過去のような。

横から見たら、もはや壁がありませんでした。


立入禁止の看板。以前はここにも小屋があったのでしょう。

川には鴨が泳いでいました。

またまた発見です。



少し開けっ放しの窓から、『けいさつ用語・人を見たら泥棒と思え!』『火の用心』という手書きの貼り紙が。


横には放置自転車がありました。建物の崩れ具合もよくわかります。

錆びた看板と謎のドラム缶。

次々と廃屋が現れます。



えっ?何これ。なぜシャッターが三角に切り抜かれているのでしょうか?

うわっ!横から見たら、火事の跡が!

そして、女郎蜘蛛がいました。

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